粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

【3/30~4/5】幸せがわからなくても許されたい

3月30日(月)

いま、Evernoteに「やりたいこと」を100個メモしようとしていてまだ31個しかないのだけど、その中の「もういいやと思えるくらい好きなだけ寝る」が達成された日だった。
とはいえ、自分の意思で好きなだけ寝たというよりは、一日の大半を気絶していたというほうが正しいように思う。半分まるとしておく。

夕方に少し目が覚めたとき、ものすごい頭痛と吐き気があった。何か食べれば落ち着くかと小さなドーナツを食べ頭痛薬を飲んだが、結局すぐにそれらごと吐いてしまった。頭痛で嘔吐する経験があまりなかったので、びっくりしてショックで呆然とする。外から見たら、きっとあまり動じていないように見えただろう。「何を考えているかわからない」と言われていたこどもの頃の自分そのままだ。

頭痛のつらさをTwitterに吐き出すと、女性向け性風俗のセラピスト(キャスト男性)がDMで「とにかく水分をたくさん取らなければいけない」と教えてくれた。風俗は副業で、本業は医療系のお仕事をしているのだという。
確かに、最近は1日2リットル近く水を飲むように気をつけていたのに、今日は全然飲んでいない。気絶してたし。言われたとおりに水をコップで2杯半ほど飲んだら、また気絶していた。目が覚めると頭痛は去っていた。どこから助け舟が漕ぎ出されてくるか、わからないものだ。

親しい人、身近な人が一番見てくれているという理由で、まずInstagram鬱病になったことを書いた。少し経って、韓国留学していたときにルームメイトだった韓国人の子から連絡が来た。
10年近く会えていないのに、ものすごく親身に話を聞いてくれた。「オンニ(姉さん)」と呼ばれると、ほんの少しだけ背筋がしゃんとする。無口でプライドが高くて何を考えているかわからなかったであろう私に、何かサポートできないかとそばにいてくれた優しい妹。私も、ずっと優しい人でいたかった。いまからでもそうしたい。

色々と滞っている案件があり、本当に申し訳ないと思って涙が出た。YouTubeで焚き火の映像を流しながら再び目を瞑った。

3月31日(火)

北海道に住む人にイギリス旅行の際の写真を送りたくて、数年前の写真を探しながら寝たためか、元夫の夢を見た。怖くて気持ち悪くて逃げたいのに逃げ場がない感じ。

起きて、記憶のなくならないうちに急いで夢占いを検索すると「あなたが過去に元夫に対して感じた恐怖の感情がフラッシュバックしている」「つらい気持ちが続くようならカウンセリングへ行くことも考えて」と書いてあった。
夢占いってなんかもっとこう、「新しい出会いの吉兆★」とか「復縁のサイン♪」みたいなふわっとしたものだと思ってた。カウンセリングとかすすめられるんだ。実務。恐怖の感情はそのままに、頭は急に冷静になる。

家から出ようとすると吐き気が強くなり、1時間遅く出社させてもらった。上司や先輩と話すことが多い1日。私に対して良いことも悪いことももっと言いたいことがあるだろうに、抑えて優しくしてくれていることが伝わってくる。ありがたいのと申し訳ないのと嬉しいのとつらいのとで、頭がクラクラした。

身体の大きな男性の前にいると、いますぐ逃げたいようなもっとそばに寄りたいような暴力的に抱きつきたいような力任せに殴りたいような刺し殺したいようないっそ殺されたいような、めちゃくちゃな気持ちになる。大きな大人の男性のことは、大好きでそして殺したいほど憎い。

いつもお世話になっている友人の「ほしいものリスト」から、誕生日プレゼントを贈った。昔は友達の誕生日祝いのメッセージやプレゼントを欠かさなかったのに、いまは元気に余裕のあるときしかできない。またちゃんとお祝いできるようになりたい。自分に関わる人を大切にしたい。

昨日からなんだかあまりご飯を食べられない。そういえば、イギリス旅行の写真は見つからなかった。

4月1日(水)

新卒を守ろうとか、新卒に無理しないでと呼びかけるツイートがたくさん流れてくる4月1日。共感し応援するとともに「私も誰かに守られたかった」という、恨みとも悔しさとも寂しさとも言いきれない鋭利で冷たい感情の塊が、胸にサクッと刺さって抜けない。

真面目で負けず嫌いで丁寧で優しくて自責の気持ちと敬意があって、などと褒めてもらえることもあるが、だからこそ舐められる。どう生きてくれば良かったんだろう。軽視される度に、足元を見られる度に、私の生き方の全てが間違っていたと成績表を渡される気分になる。成績表の紙で私の皮膚を喉を刻んでいるとも知らずにみんな日常を生きている。

頭からアスファルトに叩きつけられる自分を想像する。リセット。リセット。リセット。割れてズレた頭蓋骨から私自身が漏れ出てきて、その中身は誰にも理解されずに地面の凹凸を埋めていく。想像上のその色は湯煎したルビーチョコレートみたいだ。きっとそんなきれいなものではないはずだ。

私が住むのは低層階。勢いで自殺しないためにここに住むと決めたのだ。自分を理解していてえらい。自分を守れてえらい。こんな低い階から飛び降りたって頭蓋骨はきれいには割れない。だから今日も夢の中の私は自分の左脇腹を包丁で刺すだろう。

4月2日(木)

天気が良い。太陽の光の下、死にたいと思いながら歩く。太陽の光に当たると良いって言ったくせにと、太陽の光に当たることを推奨したことがある全ての人に向けて心の中でぼやく。

あやうく一生懸命生きるところだった

あやうく一生懸命生きるところだった

  • 作者:ハ・ワン
  • 発売日: 2020/01/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

帰りに、ハ・ワン『あやうく一生懸命生きるところだった』(ダイヤモンド社)を買った。ペク・セヒ『死にたいけどトッポッキは食べたい』(光文社)と、いまの自分にとってはどっちが読みやすいかな。

夜にあったZoom会議(?)では、人が多かったからか(といっても10人いないくらい)色んなことに注意を向けないといけなくて、途中から何も考えられなくなってしまった。もっと自由に振る舞えたらいいのかな。

モニターの位置のせいか何か理由があってそうしているのか、カメラを見ない(目が合う感じがしない=言葉以外でのコミュニケーションを取る気がない)人が結構怖いなと思った。相手は気持ちを隠しているのに、私は読み解くことを強いられている感じ。その人個人、あるいは私個人の問題かもしれない。

4月3日(金)

朝起きたときに喉が苦しく、すわコロナかと思ったが、どうやら今年の1月頃から悩んでいる声帯炎が少しぶりかえしている症状のようだった。咳はない。良かった。咳は苦しいので。

午前中は休ませてもらい、午後から会社に行くことにした。昨日一昨日と、会社のお手洗いの鏡でみた自分の顔が青白いを通り越して灰色がかっていたのがショックだった。今日はチークを濃く入れようと決めていた。決めたとおりにする。

自分ではよくわからないけど、今日の私の顔はチークが濃くて、眉毛に意思がありすぎておかしく見えると思う。でも、そうしないと外に出られなかったし、仕事もできなかった。おかしく見えるかもしれない化粧は、鼓舞であり、少しでもまともな社会人でいたいという意思であり、「ほっぺがピンクで可愛い」という自分へのOKであった。
道ですれ違ったり電車で向かい側の席に座ったりした人に対して、「この人の化粧、どうした?」と思ったことが正直あった。化粧が下手とかの問題ではなく、明らかに何かがおかしい化粧の人がたまにいると思うのだけど。そういう人たちの化粧にも、何らかの意思が、鼓舞が込められていたのかもしれないことに、思いを馳せる。

「すわ、○○か」という表現は、高校生の頃に大槻ケンヂのエッセイをたくさん読んでいたときに覚えて染みついた。いまも、本棚には当時購入した文庫本が並んでいる。年に数回も読まなくなってきたけれど、たぶん自分からはずっと手放せない。また少し読もうかな。

今日はいつもより少し元気だ。頭もぼんやりしていない。と思ったのに、結局ほとんど何もできなくて苦しい。人の溜め息が怖い。舌打ちが怖い。マウスや受話器や手帳などを「バン!」と置く音が怖い。視線が怖い。視線が合わないことも怖い。雑談が怖い。独り言が怖い。身体に流れている血液がヒュッと冷たくなる感じがして、凍えて動けなくなる。

病院で、すぐに休職ができないみたいなのだけど、日々をどう過ごせばいいかと相談した。
とにかく、仕事と移動以外の時間は寝ること。自分に考える時間を与えないこと(=寝る)。仕事中も、ちょっと頭がぼんやりしているくらいでいい。薬のせいにしていい。先生が薬を飲んでって言ったから仕方ないんだと思っていい。仕事が思うようにできなくても、ぼんやりしているからこれでいいんだと思ったほうがいい。とにかく考える時間を減らしましょう。

私は昔から、世の中には「優しい人」と「優しくできる人」の2種類がいると思っていて、先生は「優しくできる人」だと思う。優しくできる人のほうが、間に思考が入るぶん、比較的一貫性があって信じられる。だから、いまの先生のことは好きだ。

韓国語や韓国のニュースでは、コロナは「코로나19」と書く。覚えた。

4月4日(土)

散歩がてら、できるだけ人とのすれ違いを避けながら一駅分歩き、100円ショップで4号のプラスチックの植木鉢や土を買ってきた。少し前から水につけて様子を見ていたイチジクの枝から根も葉もたくさん生えてきたので、植え替えてあげたいと思っていたから。
通販で買えるオシャレな植木鉢なども色々と検討したけど、一旦これで。でも可愛いよ。似合ってる。

植え替えてすぐは、環境に慣れないためか葉っぱが下を向いてしまった。心配だったけど、少し経つとまた上向きに。良かった。このまま無事に根づいてくれるといいんだけど。

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種を水に浸けている2つのアボカドも、1つは根が伸びそうになってきている。がんばれ、がんばれ。ゆっくりでいいけど。芽が出るといいな、アボカド。アボカドの芽が出たら生きよう。そんな風に考えているから。

1日のうちに何度も意識を失い、その度にしばらくして目覚めた。土曜日になったら書こうと思っていた原稿は、その下準備すら進まなかった。休みだからそうなっているならまだいいけれど、これが自分の本来の生き方なのだとしたら。そうだとしたらいままでずいぶんと無理をしてきたと思うし、この先無事に生きていける気がしない。

本を読みたかったが、文字が単語として認識できない。例えば「り」と「ん」と「ご」はわかるのに、それが並んでいるときにその言葉は「りんご」であり赤いあの果物を指すと理解できない。なんで、なんで。

「死にたい」と思いながら眠りにつくのは、本当に悲しい。

4月5日(日)

朝起きて、気がついたらバタークッキーの生地ができていた。起きて意識がないうちに小麦粉をこねていることは、なぜかたまにある。

生地を冷蔵庫で冷やし、午後に焼く。自分しか食べないし、と適当に成形をしてしまった。全粒粉入りのクッキーは、それでもザクザクでおいしい。周りにグラニュー糖をつけてみたのが良かったようだ。無印良品のチャイとあわせて食べる。

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バタークッキーのレシピは、なかしましほ『おやつですよ』(文藝春秋)から。これもそうなんだけど、土井善晴おいしいもののまわり』(グラフィック社)や『土井善晴の素材のレシピ』(テレビ朝日)の特装版とか、夢眠ねむ夢眠軒の料理』(主婦の友社)とか、ビニールカバーがついたレシピ本って大好き。懐かしい手触りがあって、つい買ってしまう。

おやつですよ―くり返し作るわたしの定番レシピ集
 

休日に、自分の食べるぶんだけのクッキーをあっという間に作ってチャイと一緒に食べるなんて、なんか素敵な気がするのに、自分の気持ちはどんどん曇っていく。

そんなことしている場合か? 良い気持ちになろうとするなよ。どうせ作るならもっと丁寧にやればどうだ。なんて無意味。恥ずかしい。みっともない。人生を豊かにしようとするな。

「自分の人生を豊かにしようとするな」は、実際に元夫に言われた言葉だ。ふとしたときに男性のくぐもった声で頭に響く。

私はドラマや映画やアイドルなどエンターテインメントについての記事を書くことがあり、仕事のために家でそういった映像を見ていたときに言われた。「好きなことを仕事にしたい」なんて思ったことはなかったし、好きだからこそわざと距離を置いていた分野さえあった。けれど、周囲には、とりわけ忙しい時期の元夫には、遊んでいるような仕事に見えていたのかもしれない。

好きな人から「人生を豊かにしようとするな」と言われた経験がある人が、世の中にどれくらいいるだろう。意外と多いかもしれない、虐待とかで。もしかしたらすごくすごく少ないかもしれない。レアな経験だったらいいのかな。話したらみんなが笑ったり怒ったりするような、人をびっくりさせられる経験だったらいいのかな。だって、そのままの形で自分の記憶に残しておくにはつらすぎる言葉。

うっすらと吐き気を覚えつつ、吐いたっていいんだという気持ちで、できるだけたくさんの水で薬を流し込んだ。夢の中に、水面の奥にいるように歪んでいる自分と、何かを怖がって泣いている10代頃の自分がいて、どうしたらいいかわからなくて疲れた。誰か助けてあげて、と思いながら座り込むと「誰か」がぬっと現れたが、私を覗き込んでくるその顔は黒っぽくぼかされていて見えなかった。

 

***過去

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