粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

無題

「がんばって、1日に2食は食べましょうね」と医師が言っていた。
 その言いつけを守るためにご飯を食べたいと思ったけれど、家にあるご飯になりそうなものが炭水化物ばかりで、それはどうなんだろう、どうにかできないものか、と悩んでいるうちに頭がパンパンになって、気づいたらビスケットを食べていた。結局、炭水化物だ……と気づいて、何もかもどうでもいいような気分になる。
 でも、この何もかもどうでもいいような気分が「まあまあ元気」という状態なんじゃないだろうかと考えたりもする。私の「元気」のハードルが高いような気がして。

f:id:ericca_u:20200623181634j:image

 誰かと比較することに意味はないとわかっているつもりなのに、自分よりずっと年上で精力的に活動している人を見て落ち込んだり、スキルアップの過程をSNSに書き込んでいる人を見て落ち込んだり、書籍を出版した人を見て落ち込んだり、給与が振り込まれた人を見て落ち込んだり、美味しいものを食べている人を見て落ち込んだりしている。今日はそういう日だから仕方ないんだと、言いきかせて牛乳を飲む。横になる。

 

「描いて描いて描きまくって、それでも描けないときは描くのをやめる」と言っていたのは、アニメ映画『魔女の宅急便』のウルスラだった。そうしたら、不思議とまた描きたくなってくるのだと言っていた気がする。
 私もしばらく書くのをやめて、いまはただ「書きたい」という気持ちだけを抱えている。何を書きたいのか、何なら私に書けるのか、何なら私が書く意味があるのか、それがまだわからない。
 署名ライターになって4年、これまでは「あなたに向いているのではないか」と言ってもらえたことにはある程度何でも取り組んでみてきたつもりだ。これからは、自分は書きたいことは何かを考えていくべきなのだろうか。それとも、そんなに欲張らずに、淡々と書ける人になっていくべきなのだろうか。それとも、もう書くことは諦めるべきなのだろうか。
 そんなことを、最近は毎日ずうっと考えている。人にこぼしたり相談したりするけれど、まだ答えが出ない。

 

 元気になったらしたいことがないから、自分の元気な状態も想像できないし、元気になれるような気がしない。それでも休み続けていれば、あるときふと「あ、元気になったな」と理解できる瞬間が来るのかな。医師はそう言ってくれるけれど。
 来るかわからないときを、ただ待つ。それも私の人生に必要な時間なんだろうか。本当に?