粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

【3/16~3/22】幸せがわからなくても許されたい

3月16日(月)

いつ頃から、寝るときに電気を消さなくなったのだろう。

少なくとも、今年に入ってからは数えるほどしか「よし寝るぞ」と電気を消した記憶がない。いつの間にかベッドや床やクッションの上で気絶している。朝方に寒くなったり眩しくなったりして起きて、そのまま会社に行ったり電気を消して再び寝たりしている。

Twitterの鍵アカウントに、気づくとほとんど毎日のように「死にたい」とツイートしていた。ぼんやりと帰路についていると、ふとした瞬間に道路や線路に飛び出しそうになる。びっくりして慌てて足を止めるけれど、自分がしていることに気がつかなかったらどうなるんだろう。いつの間にか気絶している夜のように、ぶつりと意識が途切れたら。

いよいよ精神科か心療内科に行こう。予約したことを友人に報告すると「やっと行ってくれるか」という安堵の言葉と「病院に行けてえらい」というお褒めの言葉が返ってきた。みんな、私のことを「ヤバいな」「限界だろうな」と思って長い間心配してくれていたのだ。それを知らなかったわけではないのに、どうして理解できなかったんだろう。

23時過ぎまで会社にいて、0時を過ぎてから帰宅した。朝一でやることがあるのに、ベッドにもたれるようにしてまた気絶していた。

3月17日(火)

7時半に起きて、やることをやる。起床してやることをやれたことにほっとし、ドッと疲れる。今日は病院だ。

あれよあれよという間に休職をすすめられ診断書が出た。診断書に法的な拘束力はないが、と前置きがあり、そして鬱病抑うつ状態のためとにかくすぐに休むようにと、繰り返し繰り返し釘を刺された。どうしよう。

地元の言葉で、心臓がドキドキして息が上がるような感覚になることを「はかはかする」という。はかはかして胸が苦しい。私は、私のことを「もっと耐えられる子のはずだ」と思っていたのだ。そうではないということがわかってしまった。はかはかし続けたまま残業をし、診断書のことを言えず、また0時近くになって家に着いた。

3月18日(水)

連絡が取れなくなっていたライターさんの生存がわかり、安堵する。「こんな気分だな」と、先輩がフラワーカンパニーズ『深夜高速』という曲を教えてくれた。「生きてて良かった」と歌詞が繰り返される。ライターさんのことだとわかっていながらも、毎日自殺する夢を見ている自分にも刺さってしまい、通勤中に少し涙ぐんだ。

診断書のことを会社の人に相談できてえらい。初めてこの会社で泣いた。昔はもっと泣き虫で、もっと些細なことでいっぱい泣いていた。人前で泣くことは、私の体温を湛えた涙の粒が頬をつたうことは、「人間に戻った」という感じがした。

このところ、毎日頭痛が酷い。

3月19日(木)

珍しく定時であがって友人と要町「curry Punje」へ。

コロナウイルスの影響か、それとも祝日前だからか、そこまで混んではいなくて店主のロペスさんともいつもより話せて嬉しかった。新作のサングリアを少し飲ませていただいた。自分で果物やパクチーなどを潰し、そこにワインを入れるスタイル。一般的にイメージされるサングリアよりも香りがフレッシュなぶん華やかで、生命! という感じの味がした。

カレーも変わらず美味しく、チャイも甘くて温かく、ロペスさんはいつも優しい。

私は最近、鬱のせいで一瞬前にしていたこと、一瞬前に話していた内容を忘れがちだ。ヒントのようなものだけ掴んで、なんとか会話しているようなところがある。うっかりするとヒントも掴み損ねてしまい、おしまいになる。
友人は、もともと会話の途中でどこか思考が遠くに行ってしまう私の癖を面白いと言ってくれる人だけど、今日の思考の飛び飛びっぷりは自分でも「酷い」とわかるほどで申し訳なかった。申し訳ないな、と思いながら駅まで歩き、申し訳ないな、と思いながら駅で別れ、申し訳ないな、と思いながら電車に乗った。友人はそんなに私を責めてないのにどうしたことだろう。

一緒にいる人(特に男性)を楽しませなければいけない、機嫌を損ねてはいけないという刷り込みを抱えている。それは生きていくのに便利な武器になったこともあるが、重荷でもある。こんなもの、と捨ててやりたいが、それを捨てたら生きていかれないんじゃないかという不安や恐怖感もまだあり、握り締める手を開けない。

彼はそんな風に思わなくていい友人のはずなのに。ごめんね。不安や恐怖感を、どうしても無視できない。

3月20日(金・祝)

Google Play Musicで「大丈夫」とタイトルにつく曲を片っ端から聴いてみたが、全然大丈夫にならないので悲しくなった。みんなの求めている大丈夫と、私のほしがっている大丈夫はそんなにも違うものなのだろうか。

自分の「大丈夫」がないことにさみしくなって、ふと人格ラヂオ『回路』を聴くことにした。高校生から大学生の頃にかけて好きで聴いていた。意味があるようなないような、たゆたうような曲調と声で、ぼんやりとできる。悠希さんは当時、どんな思いでこの曲を作ったんだろう。何かで読んだ気もするが、昔のこと過ぎて思い出せない。


人格ラヂオ - 回路

やることがいくつもあるとわかっているのに、何も手をつけられない祝日。夜中にカスタードクリームを炊いたら、あたたかくて甘すぎる香りに安心した。こういうものをずっと生産していたい。どうせ死ぬなら、せめて優しいものを生み出したい。

3月21日(土)

抑うつ状態のままできるのだろうか、と不安を抱えながら、来てくれる人を信じてイベントバー「ドラマバー」を開催させてもらった。私が鬱になっていることは、店主1人と来てくれた編集者さん1人にしか伝えていなかった。何かあったらこの2人を頼ろう。覚悟。覚悟。大丈夫、大丈夫。

結果的に、親しい人から初対面の方まで想定より多くの人が来てくれて、新しい繋がりが生まれたりドラマ情報を交換し合ったりと楽しく過ごさせてもらった。完全に来てくれた方のおかげです。ありがとうございます。

昨晩炊いたカスタードクリームで、クリームパンを作った。初めて会ったフォロワーさんとそのお友達が「フォロワーが作ったパン美味しい」と食べてくれたのが嬉しかった。フォロワーが作ったパンです。

バーを閉めたあとに、ここ数ヶ月時々遊んでいた男の子の家に泊まりに行った。お互いにそう言ったわけではないけれど、なんとなく、今日が最後になる気がして変にはしゃいでみせてしまった。彼もいつも以上に優しかったように感じた。
久しぶりに人に触れながら寝て、時折可愛がるように頭や肩を撫でたり抱き寄せたりしてくれる手が嬉しい。幸せ、のような気がする。起きたらなくなるのだとしても、いまの私には手に余る、余りすぎた幸せ。

3月22日(日)

昨日パワーを出しすぎたこともあり、予定していた読書会では読みやすそうな本を選んだ。

料理の四面体 (中公文庫)

料理の四面体 (中公文庫)

  • 作者:玉村 豊男
  • 発売日: 2010/02/25
  • メディア: 文庫
 

玉村豊男『料理の四面体』(中公文庫)。図書館で借りているので、一生懸命読んで返却しなければいけない。鬱の症状で文字が読みづらくなっているなりに、一生懸命読んだ。
著者が世界各国の料理や調理方法に恐れずチャレンジしていくのだが、最終的には「もしも身に無一物で料理の道具がなければ、(中略)地球全体をひとつの土鍋だと考えればよいのである。」とまとめに入っていて最高だなと思った。人から見ればおかしなことと思われるような実践を重ねる人が好き。私の興味だけに突き動かされたおかしな経験も、何かに活きればいいのだけど。

 疲れが出たのか、帰宅したらまた気絶していた。コントロールできない自分の身体が嫌だ。脳が嫌だ。バラバラになりたい。本当はなりたくないくせに、どうしてそんなこと言うの(言ってはいないけど)、と思って少し泣いた。