「あとが残る右脚の傷があると、結婚できなくなるんだよ」
幼稚園の裏口で、先生か他の園児の保護者かは思い出せないが大人にそう言われ、言葉が出なかったのを覚えている。転んで右脚を大きく擦りむき、手当てしてもらった日だった。
私の右脚の太腿には、すでにもっと幼い頃の火傷のあとがある。これは大人になっても残るかもしれないね、と病院で先生に言われていた。
私には「結婚をしない未来」というものがあるのか。そして、傷には「意味」があるのか。初めて知る概念を頭の中で咀嚼しようとしている私を見て、傷ついたと思ったのかもしれない。その人は私に、そんなの迷信だよね、と何度も同意を求めていた。
「右脚の怪我は、いまはまだ前に進みたくないという潜在意識の表れなんだって」
再び、私の傷について言葉が向けられたのは、25歳のときだった。靴擦れをきっかけに足の小指が膿み、元々小さかった爪がポロッと剥がれてしまったのだ。白い肉に血がにじむ爪にせっせと絆創膏を貼っているとき、その人は言った。
また私の傷に意味が授けられる。
「私、こどもの頃にアイロンで右の太腿に火傷作っちゃって。それもまだあとが残ってるのに」
ほらここ、と太腿を差し出す。その人は、カサカサとした親指で傷をなぞり、カサカサとした声で「そんなに目立たないじゃない」と言った。
目立たない傷ならば「意味」は無効になるのかな。聞いても困らせるような気がして、私はへへへと笑ってまた脚を隠した。
ひっかき傷だらけになった右脚にムスクの香りのボディクリームを塗り込み、いくつもの傷を探しながらそこにちょんとオロナインを乗せているとき、「傷の意味」のことを思い出していた。
痛いはずなのに、心がつらくなると脚をひっかくのをやめられない。頭の中には、脚がボロボロになって恥ずかしいとか、好きな人に心配をかけたり気持ち悪いと思われたりしたら嫌だとか、やめる理由がいくつも浮かんでいる。もうやめな、と思っているにも関わらず、両手の爪はしっかりと皮膚がめくれるまで念入りに脚を傷つけていた。
「いまはまだ前に進みたくないという潜在意識の表れ」
かさぶたになりかけている数日前の傷と、さっき皮膚がはげたばかりでジンジンと熱い傷を交互に撫でる。
かさぶたのほうは、ぽこぽこと小さく盛り上がっている。変に力をかけるとまた傷つけてしまいそうで、でもそのぽこぽこに触っていたくて、自制心と欲求とが何度もそのかさぶたの上を行き来した。
新しい傷からは、まだ血が出ている。中指の腹で掬ってよくよく見る。ただ、赤いな、とだけ思う。身体の端の端までこの赤い体液が巡っている。死にたいと思う私の中にこの赤が詰まっているのだ。血が手の先足の先まで行き渡っていく様子を想像しながら指先を見ていると、自分は生きているんだな、と初めて知ったような気分になっておかしかった。
この傷はあとになるだろうか。さっきまであんなに執拗に痛めつけていたくせに、いまは傷あとが残らないでほしいと思っている。こんなに汚くされてかわいそうだと。
二人の自分と、そしてさらにそこから切り離された「傷だらけの右脚」がいる。それをどうやってまた一人の私にまとめていったらいいのか、そのときは見当もつかなかった。
今日、右脚を見てみると傷はずいぶん治っていた。茶色く変色してあとになりそうな部分も点々とあるけれど、大部分は元に戻っていて、そして太腿には昔と変わらずケロイドと化した火傷の傷あとが皮膚をピンと張らせている。それが火傷あとである自分の仕事だと胸を張っているようにすら見えてくる。
先月までは、いつまでこうして脚を掻き続けなければいけないのだろうと思っていた。頭でいくらやめろやめろと言っても、私が寝ている間でも爪は右脚を傷つけていた。爪もまた、それが自分のなすべきことだと信念を持っていたのかもしれない。それが一週間ほど前にふと終わった。もう私の右脚に新しい傷はない。
右脚の変化に気づいたのは、自分が死にたいと思わなくなり少し先のことを考えられるようになったと気づいたのとほとんど同じタイミングだった。少しでも未来のことを考えると頭がぼうっと膨張する感覚があって、そして涙が出てきてしまう半年間だったのに。休職期間は今年いっぱいまで延び、では来年自分は何をしようか、と考えてみる日が増えてきた。なんだか不思議だ。
以前と同じように働きたいと願いつつ、きっともうあんな風には働けないだろうなということもわかっている。何ができるのか、何がしたいのか、などと贅沢を言える立場ではないと思うが、そこしか手がかりがないので考えてみるほかない。
先月と同じムスクの香りのボディクリームを皮膚にすべらせる。少しは前に進みたいと思えるようになってきたのだろうか。かさぶたのぽこぽこがなくなった右脚を撫でながら自問するけれど、まだはっきりとは答えが出てこない。
目立たない傷なら「意味」は無効になるかな。あのとき聞けずに笑ってごまかした私を、そうかもしれないね、そうだといいよね、といま私が励ましている。