粥日記

ライター むらたえりかの日記

ちいさいひと(2025年10月15日の日記)

朝の送り迎え、いつも通る陸橋のしたの道にさしかかった。

陸橋のうえに誰かいるなあ、と感じて見上げると、階段を老夫婦がおりてくるところだった。そして陸橋の真ん中あたりから、小さい子どもが柵の隙間からのぞき込むような体勢をして、ニコニコの笑顔でこちらを見下ろしていた。
自分のことが気になって一度目をそらした。「我が家の子どものお友だちかな」とか「お母さんとか近くにいないのかな」と思ってまたうえを見ると、その子どもはいなくなっていた。ワンピースを着た女の子だったように思うが、すでにあまり思い出せなくなっていた。

その後は、その日一日「誰かにのぞき見られている」と感じるタイミングが多かった。
パート先では壁の向こうから誰かが見ている気がして、「いらっしゃいませ」と声をかけようと顔を上げたら誰もいなかった。デジタルサイネージのなかの顔がわたしを見ている気がしたが、表示されている映像がすぐに切り替わってしまった。
家でも、普段は気にならないのに、開け放したドアの向こうが妙に気になって何度もそちらを見てしまった。風呂に入っているとき、背後から夫が入ってきたと感じて「ちょっと入ってこないでよ」と言おうと振り返ったら誰もいなかった。わたしに目隠しするように、両側から手が伸びてきたと感じたのに。
パート先や家での「気配」は、大人の男性の姿のようなときもあったし、ぐったりとした女性のように感じることもあった。

「夜間、室内の二酸化炭素量の調節のためにドアを開けて寝ると安眠できる」と聞いて、そのとおりにしてみようと思っていたのだが、廊下に透明な小さいひとがいる気がして、ドアを閉めて寝ることにした。わたしはともかく、一緒に寝ている我が家の子どもに何かあったり、怖がらせたりしたら嫌だなと思ったからだ。小さなひとがいる気がするあたりに、心のなかで「おやすみ」と言ってドアを閉めた。

うっかり子どもと一緒に眠ってしまい、夜中に目が覚めたら、もう家のなかのどこにも誰かがいるようには感じられなかった。翌日、朝と同じ陸橋のしたをとおったが、そこにも誰もいなかった。