粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

不甲斐ないわたしがうさぎと真面目に暮らしている2月の日記

こんにちは。毎日どう過ごしていますか。

わたしは別に大したこともしていないのに、日々を生きて過ごすことに精一杯で、同世代のライターや作家の方が強度のある文章を書いて発表しているのを見ると、自分が立っている不安定なスツールをガタガタと揺らされたように感じます。わたしも他の誰かから見たら、その人の立っている場所を揺らすような存在に見えているかもしれない。そう思うと、揺らされているというのは自分の不安やもどかしさ、不甲斐なさが見せてくる幻だなと思います。

去年は、わたしもうさぎも病気をしました。いまは1人と1匹とも元気に過ごしています。虫垂炎ですから、虫垂を取ってしまえば再発することはないと聞きます。ただ、ときどき虫垂のあったあたりをつつかれているような、ほんのわずかな痛みを感じることがあります。
そんなとき、同じ時期に病気をしていたうさぎのことが心配になります。元気な生活に慣れてきているけれど、それでうさぎの些細な不調を見逃していないだろうか。不安になって、うさぎの様子をよく見てみたり、定期健康診断の予約を入れたりします。入院中、病室のベッドから動けない状態で、「このまま、一目も会えないままうさぎが死んでしまったらどうしよう」と泣いたのを思い出します。うさぎは「吐く」ということがほとんどない生き物だそうですが、わたしが入院している間に、うさぎは水をゲーゲーと吐いたそうです。その場にいた人たちが「ああ、もうあの子は死んでしまうのだろうな」という目でうさぎを見ていたと聞きました。その様子を想像すると、涙が出てきます。うさぎががんばって生きて帰って来てくれて良かった。わたしも、日々なんとか生きて家に帰ってきています。

いま、仕事を3つ掛け持ちしています。自分で選んだことです。
毎日同じ場所で、ほとんど同じ人と8時間を過ごすことに耐えられなくて、長くても6時間まで、週5~6日を別々の場所で、できるだけ別々の人と過ごすように働き方を変えました。頭の切り替えが上手くないので、苦労していることもあるけれど、それでも気持ちはだいぶ楽になりました。この働き方で収入を上げていくというのが、当面の目標。ABCとある仕事のうち、BよりDのほうが安定して収入が上がりそうだと判断したらDにスライドしたり、Cの人間関係で悩むことがあればEに移ってみたり。3つ仕事があることで、そうやって仕事を部分的に入れ替えていける。それが、少しだけ気持ちの余裕を生んでくれているような気がします。

「正社員として働きたかった」「ひとつの会社でがんばりたかった」という未練が、四角い心のすみっこにまだあります。のり部分の粘着力が落ちた付箋のように、もう捨てて新しいものに書き換えなければいけないのに、まだちょっとくっつくし。クリップでとめれば使えないことはないし。みたいな感じで残されている。「やっぱり捨てよう」と拾い上げて処分できる日を、すみっこで待ち続けてもらわないといけないようです。ごめんね。

わたしの経歴的に、後進になにも伝えられることがないというのも、抱えている罪悪感のひとつでした。ライターとして堂々と人に教えられるようなスキルや仕事術があるわけでもないし、あったとしても、そういうことは言葉にするのを避けたいなと思う部分でもあり。ただ、30代の大人としてそれでいいのか、社会との接点がなさすぎやしないかと、自分を責める気持ちがありました。

それは、今年からはじめた仕事によって少し緩和できたように感じています。自分より若い、目標を持った人たちに接する仕事なので、彼らが決めたことをサポートするにはどうしたらいいのか考えるようになりました。まだまだ自己満足に近いだろうし、わたしが刺激を受けたり学んだりすることのほうが多いくらいで恐縮だけれど、届くものがあるように真面目に取り組んでいくつもりです。

まだ1ヶ月に3~5日くらいは、本当に死んでしまいたいと思う日があります。そんな日をやり過ごして、そんな日は見なかったことにして、でも本当に本当に死にたかったら死んでもいいよという自分への許しも持ちながら。そうやって暮らしている人もいるよ、という報告のような、置き手紙のような、そんな2月の日記でした。