粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

月には帰さないと決めている

ずうっとモヤモヤとした気持ちを抱えて過ごしている。自分自身について、最近あまり書いていないからかもしれない。

 

近況のひとつとして、うさぎを飼いはじめた。動物を飼うのは初めてで、環境の変化に弱いわたしは、うさぎの存在が生活に馴染みはじめるまで相当疲弊した。うさぎもうさぎで環境の変化に弱いというので、小さい命を消してしまわないように些細なことにとても過敏になって、毎晩泣いたり上手く眠れなかったりした。

何度かドキリとする瞬間はありながらも(それもわたしが過敏だったとあとでわかったが)、うさぎはなかなか元気に育っているようだ。ときどき、わたし以上にこの家でくつろいで見えることすらある。くつろぐとはそういうことなのかいと、生後数ヶ月のうさぎに三十数年生きた人間のわたしが学ばせていただいている。

うさぎを1日に数時間部屋に放してやると、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら部屋中をチェックしてまわる。本当の気持ちはわからないのだが、嬉しそうな様子に見えてこちらもなんとなく嬉しい。大人しそうな子だと思っていたのだが、すっかり家に慣れていまでは御しきれない程のやんちゃ者である。たまに叱らざるを得ないことがあり、うさぎの命に関わるので叱るのだが、その度に落ち込む。こちらのわがままでこの家で暮らすことになった生き物に対して、何を偉そうに大きな声を出しているのかと。そしてまた泣いたりもする。

うさぎを育てるのでさえこの有様なのだから、もしも人間を育てることになったらわたしの心はぶっ千切れてしまうのではないだろうか。いままさに小さなこどもを育てている友人や親族たちに対して、敬う気持ちが強くなった。

 

毎朝うさぎのトイレなどの掃除をし、エサなどを補充し、健康観察をするために、30分から1時間ほど早く起きるようにもなった。寝つく時間は変わらないので、耐えられなくて夕方にうっかり寝てしまうことも多い。夕飯の支度をするギリギリの時間には起きるようにしているが、たまに寝過ごしてしまい、また落ち込む。そういうときには大抵頭痛がしているので、それもまた悲しくなる。

寝過ごしたときは買い物に行く時間がないので、家にあるものでなんとか夕飯をこしらえる。あるもので何とかする力が養われてきた感じがし、それはちょっと嬉しい。

このように、うさぎの参画によって生活に変化が生じている。うさぎに時間をあてる分、最近は趣味の編み物やパンづくりなどができていない。特にパンづくりは、生地を叩きつける音などでうさぎを驚かせるのではないかと再開に慎重になっている。それがストレスだとは感じていないが、手に持っていたものをこぼしてしまったようなスルリとした欠落を感じる気もする。編み物やパンづくりは、うさぎで埋められる種類の存在ではないのだな。

 

何日後か何年後かに来るうさぎの喪失を想像してみることがある。経験がないためにまったく上手く想像できなくて、いつもよくわからない気持ちになってやめる。参考に祖母を亡くしたときのことなどを思い出してみるが、祖母とうさぎは全然違うように思う。

喪失は、罰のようだと感じている。その状況、環境に甘んじていた自分への罰だ。うさぎがいること、家族がいること、それを当たり前だとわたしが思うようになったときに、ふいにその瞬間が訪れるのではないか。慣れや調子に乗ることほど怖いものはなく、すでに「当たり前」を感じ取りはじめている自分が恐ろしく感じる。だからといって、常にありがたがったり家族のために自分を削ったりしてばかりいては心休まるときがなく、バランスとは……と途方に暮れるばかりだ。

ただひとつ確信していることがある。うさぎを飼うひとの間では、うさぎの喪失を「月に帰った」と表現するのがよくあることらしい。可愛らしいが、わたしはそうは思わないだろうなと思う。月ではなく、ここで一緒に彷徨ったり循環されたりし続けていたい。いつの間にか、それほどまでにうさぎに愛着を感じている自分に、また驚いている。

うさことば辞典

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