粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

入院し、退院しました。

入院をしていました。5月14日から31日まで。

5月11日に、コロナウイルスのワクチン(3回目)を接種していたので、副反応で発熱と腹痛があるのだな~と思っていたところ、13日か14日の夜中に「あ、これヤバいやつだ」と飛び起き、東京消防庁救急相談センター(#1179)に電話。床に這いつくばりながら、夜間救急で対応してくれる病院を探してもらい、ひとりでタクシーに乗って病院に行った。

そのときのことを思い出すと、よく救急相談センターの番号を咄嗟に思い出して電話できたなと思う。それから、すぐには帰れないかもしれないと感じたのか、家を出るときに放し飼いのうさぎをケージに入れていた。息をするのもつらくて、何の病気かもわからない混乱状態にもかかわらず、変な冷静さの引き出しが開く自分が自分っぽくてちょっと可笑しい。

 

コロナウイルスワクチンの副反応ではなく、虫垂炎だった。虫垂炎は、大学生のときにもかかって、1週間程度で退院したことがある。今回もそれくらいで帰れるだろうと思っていたら、そのまま入院し2~3日後に虫垂が破れ、もうひとりでは立って歩くことも起き上がることもできず、いつのまにか酸素のチューブをつけて寝かされていた。

本来であれば手術をして虫垂を取ってしまったほうが良いとのことだったが、わたしは20代のはじめから低用量ピルを飲んでおり、手術には血栓症のリスクが伴うと言われ、痛みに耐えながら抗菌剤で時間をかけて治すことになった。1週間程度と思っていた入院は、18日間となった。

 

低用量ピルは自分の判断で飲みはじめたものだ。けれど最初のきっかけは、当時のパートナーが避妊をしてくれなくて選んだものだった。コンドームをつけてほしいと伝えたところ一度だけつけたが、その後はまったくだった。いまの自分であればその時点で別れると思う。ただ、当時の若い自分をわたしは責めたくないなと思う。ピルを飲んでまでそのひとと一緒にいようと思ったのは自分だ。

それから便利さと惰性で当時と変わらない種類のピルを飲み続けていた。それが、命や大病にかかわるようなリスクになるとは。20代前半の自分の選択が、いまの自分や病院のお医者さん、看護師さんたちに負担をかけるようになるとは。

選んだことは、自分に返ってくるのだ。そう思って、回復傾向になってきた頃に、病院のベッドの上で大好きな『シャーマンキング』を読み返した。

「やったらやり返される」と主人公の葉は言う。一瞬、避妊をしなかった当時のパートナーを恨みかけたわたしがいたが、自分が選んだことが自分に返ってきたのだと思うと、痛みと申し訳なさ、情けなさを受け入れるしかないという気持ちになってきた。漫画自体はそういう話とはちょっと違うけれども、恨みの気持ちで入院期間を過ごさなくて良くなったことがありがたかった。

 

 

とりあえず、しばらくはピルを飲むのを休むつもりだ。休んでみて、そのままやめるかもしれないし、いまの年齢の自分に合ったピルを探すかもしれないし、それはちょっと考えようと思っている。

 

入院8日目頃には立って歩けるようにはなったが、同室のおばあちゃんたちよりもずっと遅いスピードだった。一歩一歩の重力が内臓に響いているのを感じる。痛い。歩くのが怖い。でも、自分で自動販売機まで歩いて行けるのが嬉しかった。

わたしが入院した病院は中庭がありすごく明るくて、陰気な感じがまったくしない建物だった。昔入院した地元の病院は、いまにも幽霊が出そうなくらい天井も壁も染みだらけで、夜中に気軽にトイレに行けなかった気がする。幽霊の噂もあったし。いまはもう建て替えられているらしいから、もしかしたらその面影はないかもしれない。

 

わたしは血管が細いのと、いまになって思えばピルの副作用でとてもむくんでいて、点滴や採血の針を刺せる場所がなかなか見つからなくてとても苦労した(お医者さんや看護師さんが)。左腕、右腕、左腕の側面、左手の甲、右手首、左手の甲、と2~3日置きに点滴が漏れて移動した。刺したものの血管に刺せなかった部分もたくさんあって、いまも内出血になっている。

退院2~3日前に、自分の手足のむくみがかなり取れていることに気がついた。点滴と経口で水分をたくさんとったからかなと思っていたけれど、どうもピルをやめた影響が大きそうである。ゴムのようだったふくらはぎが何年振りかに柔らかくなっていて、とても驚いている。もう少しむくみが取れたら、採血や点滴も刺しやすくなるだろうか。そうなりたい。

 

入院中の痛みが強い時期は、避妊をしなかった例のパートナーの夢を何度も見た。痛み止めの点滴をしてもらうと鎮静作用があるのか、痛みが取れてほっとするのかどうしても眠ってしまう。夢のなかで、彼はいつも遠くからわたしの様子をうかがっていた。そんな距離感の付き合いだったかもしれないなと、何度目かの目覚めのときに思った。そして、もう夢に出てこないでほしいとも強く思った。

 

1日のうち12時間程寝ているような日々だったけれど、起きている時間で本を読んだり、自分について考えたりした。

わたしがしたいのは「自分の輪郭」をわかるようになることだと思う。自分なりに仕事も生きるのも懸命にやってきたつもりだけど、いまは誰にも何も届いていない、伝わっていないさみしさや心細さを感じている。わたしはひとに言えないこともやってきたし、それを開示できる相手もとても少なくて。そのため、自分にだけわかるルールで、自分をがんじがらめにして、よくわからないかたちに進化してしまったのではないかと思う。これから何をしていけばいいのか、行き詰まっている。そんな感じ。

自分でも掴めていない、だからひとにも伝えることができない「自分の輪郭」を、ろくろで土から何かの輪郭を引き出していくように形づくっていきたい。退院の前日には、そんなことを考えていた。

 

入院中に読んだ本や、入院前に見た映画の感想などについては、また改めて書きたいと思う。

まだ完治したわけではないので、通院治療をしながら仕事にも復帰していくつもりである。できることを着実にやって回復していきたい。まとまらない日記だが、今後ともどうぞよろしくお願いします。