粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

薬を飲んでから眠くなるまでに書く日記

以前、匂いの良い化粧水が好きだというような日記をどこかに書いたと思う。はてなだったら残っているかもしれないが、noteはアカウントごと消してしまったので残っていないかもしれない。

匂いの良い化粧水はいまも好きだ。比較的強めの肌に産んでもらったおかげで、成分よりも香りにやや比重を置いて基礎化粧品を選べる自由は、親に感謝していることのひとつ。ここ半年くらいは、YOANの化粧水、乳液、オイル美容液を使っている。

これもまた肌が強いおかげでできることかもしれないけれど、化粧水、乳液、オイルのうち一番香りが強いオイルを、手のひらであたためて、目をつむって眼球にぎゅうっと押しつける。押し込めると言ってもいいかもしれない。そのまま深呼吸をゆっくり3回。ゼラニウムとローズの香りが静かに身体のなかに降りていくのを感じる。直前まで考えていたつらいこと苦しいことが、そのときだけふっと退散してくれる。

 

何を考えていたんだっけ。そう、焦っていたんだ。

年明け、病院で近況を話すと医師は「ちょっと急いでがんばりすぎかもしれませんね」と言った。そう言われて、わたしはまた何年か前の「がんばりすぎ」の生活に、無意識に戻ろうとしていたと気づいた。

浅草寺で引いたおみくじは末吉で、願望や成果はのちのち叶うので静かに焦らないことと書いてあった。毎年1月に訪れている赤坂の豊川稲荷でもおみくじを引くとまた末吉で、何事もはじめは成果が出ないが慎重に進めればすべて上手くいくので、焦らず好きなことをするべしというようなことが書いてあった。

医師にも神様にも、焦っているのを見抜かれている。

 

焦ると、上手くいっているひとに自分を照らし合わせてその大きなズレから心を不安にさせてしまう。上手くいっているひとにも、ひとに見せない苦労なんかがあるかもしれないよ。それがなんだというのだろう。成果が出ていることは素晴らしいことだ。わたしにはできていないことだ。それは実際に成果が出ていないからでもあるが、わたしが自分の「成果」を定義づけることにビビって目的地なくウロウロとしているからでもある。

お前が消えて喜ぶ者にお前のオールを任せるなと声が聞こえてくる気がするが、わたしにはわたしが消えて喜ぶ者さえおらず、ただオールを握ってどうしたらいいものかと空を見上げているだけだ。ときどき横切る鳥や飛行機を見て、目的地のある彼らを見て、なんだかわけもわからず泣きそうになってしまうだけだ。

 

ただ希望もあって。2枚のおみくじは「最後にはすべて上手くいく」点で共通していた。何千分かの偶然の一致かもしれないけれど、でも医師も「ちゃんとできるようになりますから、焦らなくても大丈夫ですよ」と言っていた。3つの大丈夫を支えにしようと思った。

 

さっき、オイル美容液の香りを飲むように大きく3回吸い込むのに合わせて、大丈夫、大丈夫、大丈夫、と思ってみた。全然なにも大丈夫じゃないけど、大丈夫でありたい気持ちだけは人一倍である。なにごとも気持ちは人一倍というのが、わたしのなんの役にも立たないチャーミングなところじゃないだろうか。どうだろうな。

 

ようやく少し眠くなってきた気がする。シロクマの顔の形の湯たんぽであたたまりながら、今日も眠る。おやすみなさい。

 

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