粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

試しに書いてみる(ミャンマーのこと、読書のこと)

ブログが書けない。
いや、ブログというか、何を書いても手応え……書いたという実感がない。かろうじて、インタビューやイベントなどのレポート記事などは、自分の頭の中とは離れた場所にあるものを文章にしていくので、なんとか大丈夫なのではないかと思っている(実際、読者の方に褒めていただいたりもした。ありがたいことです)。

ブログの話に限れば、大変他責なようで恥ずかしいのだけど、自分以外の誰かに自分のことが読まれたり、受け入れられたり、共感されたりするイメージが、いままったく湧かない。肯定されないというだけでなく、否定されるほどの何かを持ってもらえる気もしない。平凡に言ってしまえば、自分から出る気持ちや文章の置き場所が世の中にあると思えない。無視されるのでは、とか、見てもらえないのでは、という不安のもっと前に、この世界に自分がいることに実感が持てない、という感覚かもしれない。と、いま書いていて気がついた。書く行為には、こういう利点がありますね。

 

書きたい気持ちはずっとあって、TwitterSNSに「書きたい」と書いてみたり、寝る前に「書きたい、書きたい」と頭の中がいっぱいになって泣いたりしていたのは、自分でも不思議な感じがする。手を動かしたい欲求だけが先に出てきてしまって、何を書きたいのかはモヤモヤとして形にできない。形にするために、こうしてまとまらない文章を書いたり、本を読んだりする必要があるとはわかっているつもりだった。でも、これは言い訳ですが、鬱(の後遺症?)などで本が読めないとか、自分の文章を読むのもつらいとか、そういう時期を過ごした恐怖から避けてしまう場合も多々あった。

「あれ、本が読める」と思ったのは、『ビルマの竪琴』を2~3日かけてゆっくり読んだときだった。

日本語学校で先日まで担当していたクラスに、何人かのミャンマーの学生たちがいた。仙台の日本語学校ではミャンマーの学生を担当したことがなかったし、民族舞踊をやっていたときもミャンマーのダンスはほぼ触れなかったので、わたしにとっては初めて接する「ミャンマー」が彼らとなった。

ミャンマー人がどんなひとたちかは、わたしにはまだ簡単には言えない。ただ、授業を聞いてくれた彼らにわたしはとても惹かれ、また、彼らの話す言葉にも魅力を感じた。ミャンマー語の教科書は日本に少なく、書店にある1~2冊を見ただけでは選びきれなかった。ひとまず図書館でミャンマー語の本を数冊借りた。日本にとって一番有名な「ミャンマー」は、アウンサンスーチーか『ビルマの竪琴』かな、と思って小説も読んでみた。

読み終えて知ったのだけど、『ビルマの竪琴』に出てくるミャンマーは、作者の想像上のミャンマーだそうだ。執筆された1947年頃は、日本では戦地の情報や海外の状況を詳しく知るのが難しい時代だったという。この小説を読んでミャンマーや当時の戦争についてわかった気になってはいけない。とはいえ、話の内容や書き口はとても面白くて読みやすかった。読むスピードは遅かった(以前なら一晩で読んだと思う)ものの、本に対して「明日、続きを読むのが楽しみだなあ」と思って眠りにつく数日間は、わたしにとって苦しみのない久しぶりの読書体験で、心から嬉しさを感じた。

 

読めない、どうしても読めないと思って苦しんでいた数年だった。なんとか読めた本もあったけれど、読んでも文字が頭の中をかすめていくだけで残らず、もうすべての本を捨ててしまおうかと思い、それでも読みたくて本を買っていた数年だった。

オーディブルを使えば」というひとや、それを薦めるブログ記事などもあったけど、鬱の症状がひどいときに音や人の声を耳から入れるのは、頭がおかしくなりそうなほどつらい場合がある。先日芥川賞を受賞した市川沙央が、読書の特権性について話している。彼女の経験と同じと言えるものではないけれど、オーディブルなどの便利なものを使えるのも結局健康や気力あってのことだと思い挫折感を覚えていたいまのわたしには、「気づき」というより「共感」を感じる話だった。

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先に書いたように、読書のスピードは遅いしムラもある。以前は、1冊の本にのめり込んで一気に読むことが多かったが、『ビルマの竪琴』を読んで達成感を得てからは、そのとき読める本を少しずつ、何冊か並行して読むようにしてみている。まだ心や頭が健康だったときの自分を懐かしんで、それを本来の自分だと思って執着してしまうところもある。だけどいまは、理解して咀嚼しながら本を読める嬉しさが、それを上回りつつあるのを感じている。

 

いま主に読んでいる本