粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

「タレントを起用するな」という意見について思うこと

暑くなってからずっと「お店のかき氷が食べたいな~」と思っていて、でも2000円とかのかき氷は注文する気にならず(食べてみたいけど)、みはしのかき氷に落ち着いた。820円、宇治金時。中心に入っているあんこはこしあんにしてもらった。さっぱりと甘くておいしい。

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ジャニー喜多川氏による性加害のことについて考える。Twitter(X)でその話題を見かけるたびに、うーん、と思う。

特に、元々ジャニーズ事務所所属タレントに良い感情を抱いていなかった男性や、正義感溢れる男性たちの、威勢の良いツイートにはモヤモヤとさせられる。彼らは「ジャニーズタレントをテレビに出すな」などと言い、タレントを起用しているメディアや企業を力強く糾弾する。でもわたしは、それは被害者である可能性がある人から仕事を奪うことになるが……と思い、怖くなる。

タレントを起用し続けている限り、責任を果たさない事務所の利益が増えるのだという理屈はわかる。わかるが、それは加害を受けた可能性がある人たちから仕事を取り上げてもいいという話にはならない。例えば、タレントたちがこれまでと変わらず仕事ができるような環境を整えて移籍させるとか、他に方法を考えられないものか。

 

これまで、仕事の関係者から性加害、性暴力を受けた女性たちは、仕事を失ってきた。告発をしたせいで腫れ物扱いを受けたり、加害者を擁護する人たちから二次加害を受けたりした。あからさまでなくても、仕事をしづらくなって自らその場所を離れた人や、本当は傷ついているのに、仕事を失うのを恐れて笑顔でいる人もいるはずだ。わたしもその中の一人でもある。

「わたしが我慢していれば、仕事が続けられたのではないか」
「この人も、普通に接してくれているけれど、本当は加害者を信用しているのではないか」
「わたしのいないところでは『自意識過剰』『あの子も悪い』『男女のもつれなのに』などと言われているかもしれないし、本当はそうなのかもしれない」

拭いきれない不安や疑心暗鬼と向き合いながら、あるいはそれに心を蝕まれながら生きている。ときには、死にたくもなる。

 

仕事にどのような価値を置いているかはひとそれぞれだ。自己実現でもあり、生活基盤でもあるだろう。仕事は人の日々の営みや精神に直結している。それを取り上げる重さを、簡単に「タレントを起用するな」という人たちは理解しているのだろうか。事務所を罰したくてたまらず、そこで働いている、生活をしている一人ひとりの「暮らし」を軽く見ていないだろうか。

加害者は亡くなっている。加害から時間が経っている。被害者は被害を訴えづらい構造になっている(組織的にも、社会的にも)。さまざまな要因から、繊細に扱う必要のある事件だと思っている。巨悪を責めて倒す気持ち良さや、加害の実態を知らない他者の決めつけだけで進めて良い話ではないのでは。

だからといってゆっくりゆっくり進めるような話でもなく、とにかく第三者の専門家が介入して、被害を訴える人たちにとって最も良い形(といっても、加害者が亡くなっているのでその落としどころも難しいのだが)を迎えてほしいと思っている。被害を訴える人たちがどうしてほしいのかを大切に、周囲の人びとが責任を果たしてくれることを祈る。タレントたちの仕事が不当に奪われないことも。


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8月4~6日は、「TOKYO IDOL FESTIVAL 2023」の取材に行かせていただいた。取材するステージ以外にも、一度見てみたいと思っていたアイドル2組のステージなどを見た。あと、たぶん初めてユニコーンガンダムを見た。でか! ユニコーンガンダムを知らなさそうな人も、みんながガンダムを見上げて写真を撮っていた。いいね。