粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

活力

心療内科に通院の日。

「死にたい」と思うことはいまも度々あるけれど、その気持ちを引きずることは少し減った。何か食べたり少し泣いたり、家族と話したり、うさぎを撫でたりすると、気づけば消えていたという場合が増えた。医師は「順調ですね」と言っていた。

「治る」……、死にたいという気持ちがなくなるとか、以前のように(例えば、朝から夜中・朝方まで働き続けていた時期のように)活動できるとか、そういう日が来ることはあるのかと聞いてみた。いますぐ治りたいと思っているわけじゃない。朝から夜中まで働けるようになりたいわけじゃない。ただ、家族や知人が「治るものなのか」と心配してくれるときがあるので、気になったのだった。

医師は、治るとも治らないとも言えないと言ってくれて、誠実だった。でも、これから数年とか、数十年先にはこうなるかもしれないという可能性を、診療というよりは雑談的に教えてくれて、わたしはそれを「ああ、なるほど」と笑って聞いた。

病院は、鬱と診断された頃に勤めていた会社の近くにある。なので、足を運ぶのがつらいときや、周囲の風景を見て足がすくむこともある。それでも病院を変えないのは、余計なことは話さないが、質問すれば「そうか」と思える話をしてくれるこの先生から離れがたいからだというのが理由の一つだと思う。

 

病院の帰りにはいつも書店に寄る。少し歩くと大きな書店があるのだ。

たくさんの本。文章が手で触れられるかたちになっている姿を目の前にすると、自分が何もしていない、何も成していないことが突きつけられた気持ちになる。書店に行くのは、ある種の自傷行為のようなところがあった。思うように本が読めなくなってからは特に、新刊コーナーに立つだけでめまいがしそうな気持ちになった。

今日は、日本語教師の仕事で使う本のコーナーをちらりと見てから、絵本のコーナーを見に行った。kindleではるな檸檬さんの『こちょこちょ』という絵本を読んでから、実物を見てみたいと思っていた。

『こちょこちょ』はなかなか見つからなくて、探している間にいろいろな絵本を見た。絵本は昔からそんなに変わらないラインナップなのだろう、と思っていたのだが、知らない絵本がたくさんあった。将棋の藤井聡太が受けたという「モンテッソーリ教育」をもとにした絵本や、東大での研究をもとにした絵本など、こどもの能力を伸ばすためのものがよく目についた。絵本にも流行があるのだろうな、わたしが知らないだけで。

絵本作家の「しおたにまみこ」の特設コーナーがつくってあった。初めて知ったけれど、いま注目されている絵本作家のかたであるようだ。『いちじくのはなし』が気になったので、購入してみた。『さかなくん』という絵本も面白そうだった。

 

何か人生が大きく変わったわけじゃないのに、鬱のときと比べて「本が読める」というだけで、どういうわけか活力が湧いている。いっぱい読みたいし、いっぱい書きたい。面白そうな企画にも参加してみたいし、久しぶりに「○○講座」的な学びの場にも行ってみたい。時間が合えば、以前何度か参加した「せんだい文学塾」にまた行きたい。

仕事をはじめる前にPCの前で2時間呆然とする、ということがほとんど毎日のようにあったのだが、今日はPCを開いてすぐに必要なファイルやソフトを開き、仕事に取り掛かれた。嬉しい。

いつまた「何もできない」になってしまうかわからないので怖いが、この活力がある時間を少しでも長く延ばせるようにしたい。そのためにも、よく食べ、よく寝なければ。

 

絵本のほかに今日買った本