コロナウイルスの影響で、自宅にいる時間が増えたり家のことに目が向くようになったりして、それから繁忙期が閑散期になってしまった花屋を支えようという動きもあったりして、「家に切り花を飾る」を実践している人が私のTLに増えている。それを「ご自愛」に結び付けて語ったり薦めたりする人も多い。
その現象が苦痛で、Twitterに吐き出したときのツイートをメモしておく。
最初のツイートに含まれているnoteへの反論という意図はないです。つい、きっかけとしてツイートしてしまって申し訳ないです。
“私も、気がつくと花が枯れていたりしますが、それでいいことにしています。枯れれば、また次の一輪を買いに行く楽しみができます。”
— eripico. (@eripico___) 2020年6月14日
私は花に「命」を感じすぎてるからこれができないのかもしれない。ペットに近いかも。
花を飾る男|週末セルフケア入門|鎌塚 亮 @ryokmtk https://t.co/t7Tej5Cn3t
切り花のこと、なんだと思えばいいのかわからない。私はわからなくてまだ戸惑ってるのに、みんなが当たり前みたいに「花はいいぞ」と畳み掛けてくるから不安で怖くなる。
— eripico. (@eripico___) 2020年6月14日
いいんだ、私にはイチジクとアボカドがいるから。鉢植えだと「育ててる感」があるから大丈夫なんだろうな。
わし、前世が切り花だったのでは?(たぶん違う)
— eripico. (@eripico___) 2020年6月14日
前世がお花で今世が人間って、どんな悪いことしたらそうなるんだ。
— eripico. (@eripico___) 2020年6月14日
ペットが死んだら悲しくてすぐには立ち直れないように(ペット飼ったことないけど、ペットを亡くした人見るとそう思う)、切り花や鉢植えが枯れたら私はすぐに気持ち切り替えられないんです。繊細すぎると馬鹿にされようと、ご自愛できなかろうと、それはどうしようもないんです。そういう性質なんです。
— eripico. (@eripico___) 2020年6月14日
もう切り花もご自愛も嫌いになりそう。
— eripico. (@eripico___) 2020年6月14日
私の性質を否定してくる言葉。
— eripico. (@eripico___) 2020年6月14日
もういい、無自覚な脅迫的ご自愛に逆らって生きていく。うるせ〜〜〜、しらね〜〜〜〜〜。
— eripico. (@eripico___) 2020年6月14日
私が私のためにすることを「ご自愛」という3文字に回収されたくねえ〜〜〜〜〜。
— eripico. (@eripico___) 2020年6月14日
ご自愛に キレ散らかして 得る安寧
— eripico. (@eripico___) 2020年6月14日