粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

【5/4~5/10】幸せがわからなくても許されたい(私は生きることになった)

5月4日(月)

昨日買った高級食パン。2日目はトーストして有塩バターと蜂蜜を、とのことだったので、そのようにした。おいしい。有塩バターがなかったので、無塩バターに塩をかけるスタイル。2枚も食べてしまった。

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午後になってメールを確認すると、Nintendo Switch どうぶつの森セットの抽選版売に当選していた。先週、Nintendo Switch Liteの抽選に当選したばかりなのに。強運だ。なんでいま。でもありがたい。どちらか片方は、ほしがっていた親族に送ることにする。

届いても、私は仕事があってなかなかプレイできないかもしれないけど。でも、こう、自分の意思さえ整えばいつでもできるというのは、心の余裕になりそうだな。

先週から、良いことが続いていてちょっと怖い。

5月5日(火)

日付が変わって、なかなか寝付けないので睡眠導入剤と安定剤を飲んだ直後、「あと30分したら最高の夜景の写真を送るから、起きてて!」と連絡が入る。起きているために、モーニング娘。の過去のMVを見ながらTwitterでひたすらコメントをつけてシェアした。

30分後、夜景の写真ではなく、外に出てみるようにとのメッセージが来た。360度のカメラだから綺麗な星空の臨場感がとかなんとか。カメラのことをよく知らないので、そういう写真もあるのか? パノラマ的な? AR的な……? と言われるがままに寝間着にBerryz工房のコンサートグッズのパーカーを羽織って外に出てみる。曇っていて全然星が見えずぽかんとしていると、路地からメッセージの相手が現れて駆け寄ってきた。

「怖っ……! キモッ……!」と思うか「嬉しい……!」と思うか、自分で自分に「どっち!?」と頭の中でたずねるほど混乱したが、ニコニコしている相手の顔を見たら「王子様やんけ……」と嬉しい気持ちが勝って可笑しかった。普段、相手の同意だのステイホームだの倫理的なことを言っているくせに、目の前にいる好ましい人には負けてしまった。私の倫理観なんかこんなもんである。

私の顔を見るためだけに、密を避けて車で来てくれたとのこと。めちゃくちゃになっている私の人生にそんなことがあるのかよと、驚きすぎてちょっと泣いた。飲んでいた薬とそばに人がいる安心感のおかげで、珍しくものすごく深く深く眠れた。

食事と食器洗いと散歩とキスしかしていない、大学生の夏休みみたいな1日だった。こういうとき、私は「いま死にたいな。今日死ぬのかな」と思いがちなのだけど、今日は「また会いたいな」のほうが残った。相手の心根の明るさと人の良さに引っ張られていた。私はこの人に何をしてあげられるのかわからないけど、もし許されるなら、もう少しだけこの人の引力に補助してもらえたらありがたい。

5月6日(水)

ゴールデンウィーク最終日。最近私に良いことが続いていたからか、私に「お前は人生を豊かにしようとするな」と言った元夫が嫌がらせをしに来る夢を見た。夢の内容はあまり具体的に覚えていないけれど、私が何かをするたびに人に陰口を叩かれ、馬鹿にされ、通せんぼをされるような夢で少し疲れた。「人生を豊かにしようとするな」という言葉に呪われている。

でも、夢に出てくるのが、呪いの「最後の抵抗」みたいな意味だったらいいな。呪いが私から剥がれ落ちそうになっていて、だから一生懸命縋り付くために夢に出てきたのなら、私はあともう少しで呪いから解放されるということかもしれないし。

私は、幸せを感じられる人というのは「私はこれが幸せ」と決めている人だと思っていた。例えば「あのお店のケーキがあれば幸せ」と自分を理解していて、幸せを感じるためにちゃんとそのケーキを自分に用意してあげられる人。それが、私の「幸せを感じられる人」のイメージ。

私はそれが下手で、自分のことを全然わかっていない。だから、思いがけない幸せを誰かに供給されてキャパシティオーバーになってバケツが溢れて初めて「幸せ? かも?」と気づきはじめる感じ。だから、私のことを大切に思ってくれる誰かが善意で「幸せになって」と言ってくれるとき、どうしたらいいかわからなくて申し訳ない。私は、自分の力で幸せになることができないから。

5月に入ってから、いま私に幸せっぽいできごとが過剰供給されていて、さすがに私も「これは幸せなのではないだろうか」と感じている。この感覚を一つ一つ覚えておいて、私はこういうことで幸せだなと思える人間なんだというリストを充実させていきたい。いま、私にとってそういう期間なのでは。

いや、わからない。明日になったら急にまた「死にたい」「おしまい」みたいな気持ちに支配されるのかもしれないけど。

5月7日(木)

あまり記憶のない日。

 しんどかった日なんだなと、Twitterのログで知る。


北村早樹子『マイハッピーお葬式』PV

夜になると、この曲が聴きたくなる。

5月8日(金)

火曜に来てくれた人がまた来て、今日はドライブに連れて行ってくれた。あまり計画性がなくて危なっかしさを感じるものの、私が選びきれないくらいたくさんの道や目的地を提案してくれるのは面白かった。私に優しくしてくれているというよりは、きっとただこういうことが楽しいと感じる人なんだろうな。接していて楽しくて、私は勝手に優しくされた気持ちになっているし、勝手に癒されている。

人生に突然現れた人は、突然いなくなってしまう気がする。それが怖くて、濃くて短命な人間関係を築いてしまう。嫌だな。一生こうやって、臆病に生きていくのだろうか。

5月9日(土)

今日もまた、昨日に引き続きドライブに連れて行ってもらう。人がいない地域に行って、10年以上運転をしていない私の運転の練習をしようと提案してくれた。でも、到着した地域には思ったよりも人も車も多く、また、私があまりに怖がるので運転の練習はできなかった。ごめんね……。

夕方までという約束だったが、私がさみしがっているように見えたといって夜までずっとそばにいてくれた。優しい人。私に人から優しくしてもらう価値はないのに。あまり優しくしてもらうと、私がつけあがりそうで本当に怖い。わきまえろよ。

5月10日(日)

アボカドの、小さいほうの種が割れ、芽が出てきた。

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何年も、何度も失敗してきたアボカドの種の水耕栽培。初めて自分の家でアボカドの芽を見た。こんなに固い種なのに、こんなに真っ二つに割れるんだな。

もし今度こそアボカドの芽が出たら、「死にたい」と思うときが来たとしても生きるという自分との約束になっている。私は生きることになった。

 

***過去

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