粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

【5/18~5/24】幸せがわからなくても許されたい

5月18日(月)

珍しくほぼ徹夜をしてしまい、乱れる生活。でも、書けない書けないと泣いていた原稿がいくつか書けて良かった。あとはできれば今週前半に大きいのをもう一つ書ききってしまいたい。

原稿やその他成果物を出しているし、遅いながらも仕事は日々しているのに、「私は何もやってない」という気持ちに支配されてしまうのはどうしてだろう。原稿を3本書いて、OKをいただいて、それでも何もやってないのかな。データだから? 本とか物質になれば実感する? と思って書籍の仕事も始めたけれど、できあがった本を見て結局似たような感情を抱いてしまった。私はどうすれば実感し、納得し、満足できるのだろう。

 

雨のせいか、少し死にたい今日。夜に、向かいの家から怒鳴り声と何かを叩く音が1時間以上も聞こえてきて怖かった。児童虐待かと様子をうかがっていたけれど、泣き声やこどもの声は聞こえないような。老人やペットの虐待の可能性もある。怖くて動けなかったけれど、喧嘩の疑い程度でも心配だったら警察を呼んでいいらしいので、次に同じことがあったら警察を呼ぶ。恨まれたら嫌だな……。

男の怒鳴り声と暴力の音のおかげで悪夢を見た。夜中に汗をかいてうなされて起きる。むやみに大きい声を出す男性の無自覚さに腹が立つ。窓に石でも投げ込んでやれば良かった。

 

どうぶつの森は、空き時間に少しずつ遊んでいる。他の人の島を見ると焦ったり、落ち込んで嫌になったりしそうなので見ないほうがいいかも。

インフラ整備とか島クリエイト(?)とか、果たして自分はそういうことをどうぶつの森でしたかったのだろうか。やったら楽しいのかも知れないけど。あまり悩まず、最初は不便なところをちょこちょこ改善するくらいの気持ちでいたらいいのかもな。

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島に住民が増えた。特に呼びたいどうぶつとかは考えてなかったけど、こうして偶然にも可愛いと思える子ばっかり来てくれて嬉しい。いまいる子たちの中では特に、リアーナ(馬)とチャック(鹿)が好き。馬と鹿か。

何人まで増えるんだろう。いま、ちょうどすゑひろがりずの実況と同じくらいの進みだろうか。


【あつまれどうぶつの森】#41 すゑひろがりず、また見つかった。【狂言風ゲーム実況】【あつ森】

すゑひろがりずの南條氏は、「メープル」と言う名前のくまを「かえで姫」と呼んでいた。

5月19日(火)

最近、導入剤や安定剤を飲んで寝ている。そのせいで、朝はいつも以上にぼんやりとしていた。4時間で目だけはパッと覚めるのに、身体が動かない。考えごとも上手くできなくて、とりあえず目覚ましが鳴る時間まで枕に顔を埋めていた。時差出勤をさせてもらい会社へ。

しばらく徹夜のできない身体になったと思っていたのだけど、昨日久しぶりに徹夜をしてしまったせいで「私は徹夜ができる」という気持ちになってしまい良くない。徹夜をする前提でスケジュールを組まないでほしい、絶対に……。

 

昨日、「頑張りすぎて一度壊れてしまった人は、その後10割頑張ることはもうできない。一度壊れてしまうと、その後は7割くらいしか頑張れなくなってしまう」という旨のツイートを見た。悲しいなと思う一方で、いま私が10割頑張れていないのは、私が元来ゴミみたいな人間だったからではなく、一度壊れてしまったからなのかなと思えてほっとしたりもした。

以前、広告代理店に出向して終電近くまで働き、そのあとライターの仕事や家事をしたりして、1日に1~2時間の睡眠で生きていた時期があった。朝起きられないのが怖いから、深く眠らないようにソファで寝て、それを見た当時の恋人に溜め息を吐かれたりしていた。仕事に加えて家事も頑張ろうとしていて、そういう私を見ると押し付けがましく感じられて嫌になるとも言われた。あの頃はやりたいことがいっぱいあったし、良い自分で在ろうと一生懸命だった。それだけだったのに。

私も回復すれば、またあの頃みたいにやりたいことを見つけられて、いっぱい働けるし活動的になれると信じている。だからこそ、いまの自分をとてもみすぼらしいどうしようもない存在みたいに思ってしまう。でも、違うんだな。もう10割には戻れないんだ、きっと。

7割(もっと少ない、5割とかかも)の自分でどう生きるかを、考えなければいけないのだろう。7割の自分でいまの仕事を続けられるのだろうか。無理だとしたらどうする? 7割の自分で誰かを愛したり、大切にしたりできるのかな。不安だ。不安だけど、「私は7割」と思うと、確かにそのサイズ感はいまの自分にぴったりときているような感覚もある。そして、病んでいない人はみんな普段から7割どころか5割くらいの感じで生きているのでは、という気もした。

5月20日(水)

午前中は会社に遅刻の連絡をして、免許更新期限の延長を求めて免許センターへ。無事に3ヶ月の猶予を与えられたが、窓口の男性の返事が全部「え゛っ!?」「はあ!?」と半ギレだったので怖くて落ち込んだ。そんなに混んでなかったのにな。引きずりたくないけど、恐怖ってなかなか自分では振り払えない。

 

最近は、浮き足立つことが多くついこの日記に他者のことまで必要以上に具体的に書いてしまいそうになるので、それをやめて、短歌や詩や小説に落とし込めていきたいなと思っている。というのは謎の建前で、なんとなく短歌の本が読みたくなって2冊買った。はやく読みたいな。読んじゃおうかな(仕事中)。

飛び散れ、水たち

飛び散れ、水たち

  • 作者:近江瞬
  • 発売日: 2020/05/11
  • メディア: 単行本
 
愛を歌え

愛を歌え

  • 作者:鈴掛真
  • 発売日: 2019/07/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

『飛び散れ、水たち』は、ふと手にとって袖を見たときに近江さんが同郷(宮城県)だったのでこれはと思って買った。水の合う感じがする。『愛を歌え』は、書店でパラパラと見たときに、

「死にたい」と下手なマスカラ塗りながら隣の席の女子高生は(p.10)

花束はちゃんときれいだ貯めていたTポイントで注文しても(p.15)

という2つの歌が気になったので買った。良い! とか、好き! とかっていうよりは、気になるという感じ。そういうもののほうが、「なぜ気になるのだろうか」手に取ってしまいやすい。 

 

週末から薬を飲めているので、今日はそれが効きだしたのか比較的心が穏やかというか、重過ぎない感じ。ぼんやりしてはいるけど、不快ではないぼんやり感。見た目には何も変わらないから不安になるけど、楽になっている気がするなあ。

5月21日(木)

楽になっていると思ったのに、急におしまいになりほとんど1日中寝てしまった。どういうことなの。

自分は何も感じていないが、常識的に考えると傷つくであろう事象が発生している。もしかして、私は傷ついているのだろうか。わからない。平気だと感じている自分の心や身体に触れてチェックしてみるが、傷ついている様子はない。ただ、ひとつだけ触れようとしても何にも辿り着けない暗い穴のような部分がある気がした。そこに私の悲しい気持ちが粗雑に投げ込まれているのだろうか。穴から目を逸らすために、私は眠り続けたのだろうか。

それとも、もう本当に平気になったのかな。悲しさを流し込む配線を引きちぎって。

 

夜に目が覚め、胃が気持ち悪くて何も食べられずグリーンダカラを飲み干した。少し楽になる。

おじさんへの愛情と憎しみが強すぎたせいで、私は同世代の男の子たちが何を求めて生きているのかを全然知らないなと思った。もっと彼らを一人ひとりの人として接して、心の揺れ動くのをちゃんと見つめてみたい。おじさんは自分の欲望や心の揺れに無頓着な人が多く振り回されることも多かったけど、同世代か少し年下くらいの男の子たちはもう少し細やかだ。「どうせ彼らは私に興味がない」と思いこみ遠ざけていてごめん。

そんなことをぼんやりと考えながら、カーテンの向こうから白っぽい空気が漏れてくる頃にまた眠りについた。

5月22日(金)

好い人が来てくれて、甘やかしてもらう。

足裏から太ももまで押してもらったりさすってもらったりすると、ときどき痛むがその度に力が抜けて気持ち良かった。痛くて眠れないだろうけど眠ってしまっても良いからと、目に柔らかくかけてくれたスポーツタオルからはその人の家の匂いがして、カーテンレールにかけたハンガーにこのタオルが干してある様子まで目に浮かぶようだった。いや、そう干しているかは知らないのだけれど……。

 

中学1年生の頃、仙台駅前で宗教の勧誘にあった。何の宗教かは覚えていないが、知らない大人について行って知らない家に入ると、目の前に2杯のコーラが置かれた。手をかざしたコーラは、かざしていないコーラよりおいしくなるのだという。飲み比べてみると、どちらも同じように少しだけ炭酸が抜けてぬるくなっていた。私には2杯の違いがわからないが、ここにいる大人たちにはわかる。そういうこともあるのだろうと思った。

私に付き添ってくれた女性は、いまはコーラやお菓子の味をおいしくすることしかできないが、ここに足繁く通い祈り修行をすれば、手をかざすことで相手の病気や痛みを取り除いてあげられるようになるのだと言った。はやくそうなって、人の役に立ちたいと彼女はまっすぐだった。食べ物をおいしくすることだけでも十分にすごいと思うと、私は返した気がする。

 

私は手をかざして食べ物をおいしくすることはできないが、お互いの身体に触れ合うことで強張りを取り除き、柔らかく解き合うことは覚えた。私の掌が滑ったとおりにあたたかくなる相手の身体が愛おしく、「硬いなあ」と笑いながら時間をかけて私の心身を解こうと試みてくれる人がいるのがありがたい。

あのときの宗教は信じられなかったけれど、掌が痛みや苦しみを取り除いてくれると信じる気持ちは、そんな風に少しだけわかる。

5月23日(土)

いつもの美容師さんと連絡が取れ、約3ヶ月ぶりに美容院に行った。何をもって徹底と言えるのか私にはわからないが、美容院なりに思いつく限りのコロナウイルス対策がなされていた。

「本来の姿って感じですね」と、髪を染めて切り終わった私を見て美容師さんが言う。少し短めのボブで、この人はボブに切るのが本当に上手で可愛い。色は前と同じくブルーアッシュとグレージュを混ぜたものにしてもらった。毛先が乱れたときの透明感が好きだ。これが私の本来の姿か。

近くのレストランでユッケのようなハンバーグを食べ、家に戻り、夜はインドカレーを作った。好い人はあまり料理をしないと言っていたけれど、私があれやってこれやってと言うと素直にそのとおりにしてくれるので、とても料理上手だった。「誘導したり教えるのが本当に上手」と言ってもらえて嬉しい気持ち。文章を褒められるのと同じくらいかそれ以上に、教えるのが上手と言われるのが嬉しいかもしれない。

 

私たちの会話は、性の話も仕事の話も生活の話も深刻な悩み苦しみの話も笑い話もシームレスに行ったり来たりするのが好い。性の話を忌避したり、逆にことさらに楽しいものに仕立て上げようとする人たちもいる。けれど、私にとっては全部が生活で特別ではなく、そこには1センチのハードルもほしくない。

相手がどう感じているか本当のところはわからない。でも私はもう、繋いだ手を通して互いの体内の水が循環しても困らないと感じるほど、この人に対して少しの拒絶もない。ただそんな風に急速に相手を信じてしまう自分が少しだけ怖い。

5月24日(日)

家事や書くべき原稿の準備をしながら日曜日を過ごす。うっすらと頭痛があり、ちょこちょことベッドに横になったりときどき縦になったりして生きた。

色々と考えることのある休日。一人でいると、どうもご飯を食べようと思えないのが気になる。お腹がすいているのに、何も食べたくない。

 

やっとやっと、誰かを大切にしたいという気持ちを思い出すことができた今日。どうやって大切にするのか、それはまだしばらく学んでいかないといけない。

 

***過去

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