粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

忘れたい、何もかも

休日の朝、目が覚めてまだ脳も視界もぼんやりとしているのに、自分でもよくわからないうちに台所でボウルを取り出し、合わせて200グラムになるよう強力粉と全粒粉を量っていた。

頭がすっかり目覚めた頃には、カカオニブが練り込まれたココア風味のパン生地が、一次発酵の準備が整っていることを主張してくる。えっ、いつの間に。

 

\\ててーん!//

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かわいいねえ~。

 

手ごねでパンを作るようになって約1年。ほぼ毎週末パンを焼いていたら、これがすっかり習慣化してしまった。

語学の勉強、ダイエット、筋トレ、ストレッチ、読書、美容、睡眠前のルーティン……。習慣化したくてもできない項目がたくさんある。まさか、パンづくりが習慣になってしまうなんて思ってもみなかった。本当に「ただ作っていただけ」という感覚がある。

 

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パンが好きなわけではなく、パンを作るのが好きだ。なので、作ったパンは一部はすぐに食べるが冷凍庫にたまっていく一方。

でも、最近はやっと「人にあげても良いかな」と思えるクオリティのものが作れるようになってきたので、ほしいと言ってくれる人には遠慮なく差し上げている。先日は、私が作ったパンに合う紅茶とはちみつを、紅茶とはちみつに詳しい友人が見繕ってくれて想像以上のハッピーだった。また作るので、ぜひ選んでほしい。

 

パンが好きなわけじゃないとはいえ、1年間毎週のように手ごねパンを食べていたら、パンのおいしさもわかるようになってきた。

以前は「国産小麦粉の甘みが」とか「酵母の香りが」、「素材の風味が」と言われても、はあそうですか……という感じだった。バターとミルクが強ければおいしいという、パンへの解像度がざっくりとした舌。

いまは、例えば同じパンを小麦粉や酵母を変えて複数回作ることがあるし、どのパンが作るのめちゃしんどいかなどもわかってきた。気温や湿度によって「今日はちょっと水少なめでいっとくか」とか、目指す出来上がりに応じて「酵母少なめ、発酵時間長めでいくか」などという調整もできる。

なので、以前よりは「こういうところがおいしい」「こういう部分に手がかかっている。工夫がある」と理解しながら食べていて、その理解がおいしいという感覚に繋がっている感じがある。我々は情報を食べているのだ、とまでは思わないけど、そういう面もあるのかもなあと実感はする。

 

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パンをこねたり成型したりする時間は、こね上がりの見極めや作業に一生懸命になっているので、他のことを忘れられて良い。マラソンだのセックスだの、私がハマるものは「他のことを忘れさせてくれる」という要素がだいぶ大切らしい。

パンの次はどんなもので「忘れさせてくれる」時間を得るのだろうか。それとも、しばらくはパンづくりに頼り続けるのだろうか。いまは、季節に合わせた具材のパンを焼くのが面白い。

 

 

写真は、チョコレートとマロンのパン。10月に入ってから、栗のパンをよく作っている。