粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

回復(生まれ直して3日目の私の様子)

2018年は、とても閉じた1年だった。これ以上は無理と思うほど傷ついて、傷つき疲れていて、復讐以外の目的で好きじゃない人と会うのが耐えられないほどつらかった気がする。

「気がする」というのは、2018年の感情の記憶がほとんどないから。できるだけ心を震わせないように気をつけていて、感動も怒りも思い出せない。好きなアイドルやバンドのライブに行っても、楽しんではいるのだけど、いつも自分の意識は身体からはみ出して半歩後ろで冷静にしているような感覚があった。

つい先週まで、日記には時折「死にたい」という言葉が登場していた。LINEやメールで誰かひとりに宛てて「死にたい」と伝えてしまって大騒ぎになったことがある。なので、自分しか見ない日記と後ろ暗い自分を見せてもいいと思える十数人をフォローしているSNSサブアカウントでだけ「死にたい」と書いていた。

 

今週の月曜日は建国記念の日で、祝日だった。パン教室でライ麦とドライフルーツのパンを作ってから、赤坂見附豊川稲荷に行った。思いつきだった。6年ほど前から話を聞いてくれていた占い師の女性が、豊川稲荷へのお参りをよくすすめてくれていたので、たまに訪れていた。でも、しばらく行く気になれず、おそらく最後にお参りしてから1年以上が経っている。

豊川稲荷は赤坂にあり、芸事の神様がいるので、ジャニーズ事務所のタレントをはじめ芸能人が参拝することも多いそうだ。それに伴って、参拝した芸能人のファンが後追いで参拝に訪れていることがある。お参りをする人たちのそわそわとした雰囲気に負けることなく、豊川稲荷の静謐は揺らがない。浮ついた人間の思念に侵食されない存在感に、安心と敬服を感じる。

 

行くたびに写真におさめている神様がいる(本当は写真に撮ることはしないほうがいいらしいのだけど、どうしてもそばにいてほしくて、その神様だけは撮ってしまう)。いつものように撮影したつもりだったが、駅に向かう帰り道の途中で確認すると写真の神様はずいぶんと傾いていた。トリミングをしてみるものの、どこかしっくりいかない。来た道を戻ってまで撮影するようなものでもない。傾いた神様を見て、私はいまの自分は「いつもどおり」ができない状況にあることを悟り、それを受け入れた。

それまでも、いつもどおりができていないことはわかっていた。何週間にも渡って、なにもなくても涙が出てくる。他人の話し声が聞こえると、不快で暴れだしてしまいそうになる。電気を消して寝られない。テレビの音がないと部屋に誰かがいる気がして不安なのに、テレビの音があるとうるさくて疲れる。やりたいこともなく、できそうな仕事をやらせてもらって暮らしている(ありがたいことです)。小学生中学生だった頃の私を知っている友達には「あんなに好奇心旺盛で意欲的だったあなたが」と驚かれた。そういうものは、ほとんど奪われてしまった。

仕事も趣味も生活も、できそうなことだけをなんとかやっている。東京のWeb業界で働いていると、常に自分のできる範囲の少し上にある仕事をして成長し続けないといけないプレッシャーを感じる。その空気に触れていると、少し上すら目指せない自分にがっかりする。2018年以前に出会った常に上を目指しているひとたちは、私を見捨てていった。それはまあ、そういうものなのだろう。

 

今週に入って、そういう暗いものが少し和らいできた。劇的に良くなったわけではなく、まだ「また死にたい気持ちになったらどうしよう」という不安もある。死にたい気持ちのときは、ありふれた表現だが、グラスに溜まった水が表面張力でこぼれる力に耐えているような感覚がある。たとえば、電車で舌打ちをされるとか、怒鳴られているこどもを見てしまうとか、そんなことで背中を押されて死んでしまいそうな感じ。いまは、グラスの水は9割9分くらいまでに減っている、感じがする。

こういうことをやっていきたいと、少し具体的に考えられるようになってきた。視野を絞りすぎて「行動 is 破滅」というところまで先鋭化した思考が緩んでいる。もともとの性格である「行ってみよう、やってみよう」の気持ちが芽生えている。多少自分の範囲から外れたものでも「自分にもできるだろう、たぶんできるはずだ」という気持ちになれている。それは無謀で楽観的が過ぎる予想ではなく、ある程度の自信をもって。

どうして回復してきたのか、まだわからない。もしかしたら一回死んだのかもしれない。2月に入ってからショックなことが立て続けにあったし、仕事でも悩んでいたことがあったので、グラスの水も一筋くらいは溢れたのかも。死んで、ゲームの2機目のようにまた「ある地点」で生まれた直したのかも。だから、悩んでいた時期によく行っていた豊川稲荷に足を運んだのかも。あそこが「ある地点」だったのかも。

 

まだ何も確信的なことは言えないけれど、前に「ある地点」にいた頃にやりたいと思っていたことに、少しずつ挑戦していっている。生まれ直してからまだ3日しか経っていないのに、えらいぞ。

私は、比較的すぐに結果を求めてしまう性格だ。けれど1年以上(全部で4年くらい、最大の換算で13年くらいかもしれない)死なないように耐えたのだから、以前よりは物事を少し長い目で見られるようになっていると思う。まあもうちょっと様子見るかという箱が、頭の中にできている感覚がある。

生まれ直してからまだ3日だし、長い目も手に入れたことだし、自分の良いところを思い出しながら自分のペースで回復していきたい。踏み荒らすことを良しとする人たちに邪魔されない場所で、じわじわと。

 

f:id:ericca_u:20190214175538j:plain

これは、豊川稲荷に行った日に焼いたライ麦とドライフルーツのパンです。美味しい。

 

今後やっていきたいことのひとつです。