5月11日(月)
【前回のあらすじ】
アボカドの芽が出て、私は生きることになった。
【5/4~5/10】幸せがわからなくても許されたい(私は生きることになった) - 静かなお粥のほとりから
*****
生きるのだから、ちゃんと働いたり病院に行ったり、将来のことを考えたり行動したり、政治に関心を持ったり社会や周囲の人のことを考えなければいけない。生きるのには、やることがいっぱいあるな。いい加減、運転免許証の更新も行かないとな。生きていたら、身分を証明することもあるだろう。
そして、抽選販売で当選して買ったNintendo Switchが届いたので設置と設定だけした。HDMIの差すところがテレビ側に足りないのでは……と一瞬焦ったけど、差すところがいくつかついているタップを私はもうすでに持っていた。すごいな、私よ。
色が可愛い。(リューブゼリーとか写りこんでるけどもういいや……)
ちゃんと生きないと、と思いかけ、いや生きるだけでいいんだよ、と思い直す。「ちゃんと生きる」のために食べないようにしていたコンビニのお弁当を食べ、飲まないようにしていた炭酸のジュースを飲んだ。そんな、そんな些細なことに罪悪感なんか覚えないでほしい。
少しでもつらくなくなるのなら、何したっていいんだよ。
大丈夫、ちゃんと好きだよ 呟いて
— eripico. (@eripico___) 2020年5月10日
撫でた枕の 残り香は消え#付句 https://t.co/qaqGJkyQHa
俳句より短歌のほうが向いてるのかな、と思ったこともあったけど、短歌はなんかかっこつけちゃって難しいし恥ずかしいな。また練習したい。
5月12日(火)
そわそわしてしまい、そうすると何も手につかなくなる性質なので、観念して島の名前だけ決めた。「ハンバーグべんとう」か「ぎゅうタンべんとう」か悩んで、「しゅうまいべんとう」にしたら可愛かったので良かった。一緒に住むどうぶつは、リアーナ(馬)とクリス(りす)だった。
寝るのが下手で、起きてからずっと首の後ろか痛い1日。また人の声や出す音、気配、空気が気持ち悪くなる日だ。発狂しそうだとTwitterに書いたら、フォロワーが気の紛れるようなリプライをくれてありがたかった。たこ焼きが食べたいが、胃も気持ち悪い。
「加齢ですかね」と病院で聞いたとき、「いや、ストレスですね」と言われたことを思い出して少しだけ落ち込む。加齢だったら諦めがつくけど、ストレスと言われると治せるような、治さないといけないような気になっちゃうよね。
5月13日(水)
どうして私は天才美少女ねこじゃないんだろう( ; _ ; )
— eripico. (@eripico___) 2020年5月12日
やあやあ!
— eripico. (@eripico___) 2020年5月13日
わしはもうだめ侍である!
— eripico. (@eripico___) 2020年5月13日
だめ侍になっている場合ではない。
— eripico. (@eripico___) 2020年5月13日
13日、14日の2日間はだいぶつらくて、何をしていたのか全然覚えていない。
このつらさの理由は仕事に起因するものなのだ。でも書いてしまうと、完全に私のせいであるにも関わらず他人のせいにしているように見えたり、他人が傷ついたり遠慮したりしてしまう可能性があるので、親しい人にだけこそこそと話そうと思う。誰か聞いてくれる人がいるといいな。いままでも何人かには話しているんですけれども、なかなか気持ちが切り替わりませんね。
5月14日(木)
仕事すればするほど自信がなくなる。なぜなのか。
— eripico. (@eripico___) 2020年5月14日
どうしたら「これを竹内涼真にやってもらおう!」って発想になるのかわからなくて好きなCM。
— eripico. (@eripico___) 2020年5月14日
【竹内涼真出演】クーリッシュCM「2020年もすごい冷たい篇 コーラ」15秒 - ロッテ クーリッシュ 公式チャンネルhttps://t.co/PZNedzm7Gg pic.twitter.com/6jUNNorWP6
私が仕事帰りに撮った野良猫の写真の目が怖すぎると、知人の中で話題に。 pic.twitter.com/9kX7lUeMnC
— eripico. (@eripico___) 2020年5月14日
セクシーサンキューゲーム永遠に続いて欲しかった。
— eripico. (@eripico___) 2020年5月14日
なんとかして少しでも楽しいことに目を向けようともがいた感じが見える。クーリッシュのCMの話とか特に。
5月15日(金)
出社して、お昼にはコンビニで買った筋子のおにぎりとまぐろのおにぎりを食べた。おいしい。筋子おいしい。
おぼろげながら生きなければという気持ちを感じつつあるので、心療内科と歯科の予約を今日明日で入れた。仕事の連絡も、ようやくできた。ドカンと生きる日と全てが停止している日のギャップが大きくて、いまは平気だけどあとから何かがドッと来る気がする。
「ラブライブ」の新シリーズキャラクターの制服スカートが短すぎて、もはやパッと見で「かわいそう」と感じるレベル。キャラクター(見た目)は可愛いと思うのにな。
この、キャラクターに対して「スカート短くされてかわいそう」と感じる感覚は、別にフェミニズムとか関係なくただの人間的な感覚だと思う。でも、搭載されていない人にはされていないのだろうし、フェミニズムが憎くて憎くてたまらない人にとってはこれもまた「フェミニズム」と言われるのかな。もうそういう風にしか感じられない人がかわいそうだよ、私は。
【新シリーズプロジェクト】
— ラブライブ!シリーズ公式 (@LoveLive_staff) 2020年5月15日
ラブライブ!新シリーズのメインメンバーの名前とビジュアル、TVアニメシリーズメインスタッフを公開❗
→ https://t.co/PcIZLjJUhW
メインメンバーのプロフィールは18日(月)発売のラブライブ!総合マガジン Vol.7にて掲載します✨
よろしくお願いいたします❗#lovelive pic.twitter.com/74StrFXoUA
キャラクターのことも(女子の)制服のことも、もっと大事に扱ってほしいよなあ(という会話を、制服好きの人とTwitterでもした。対象を愛している人、信じられる)。
そういえば、実は(?)好きすぎてTwitterをフォローできないくらい私はphaさんが好きで、今日もまたphaさんのブログに心を支えられた。紹介されている本をどちらもいますぐ読みたい。読まなきゃいけない本、読みたい本はたくさんあるのに、パワーが追いつかない。
phaさんとか、三宅健くんとか、萩原聖人さんとか、袴田吉彦さんとか、「実は好き」みたいな人が多いな。さっきも打ち合わせで「実は萩原聖人さんが好きで」と編集者さんたちに打ち明けた。打ち明けるというほどのことでもないけど……。あと誰かいるかな、実は好きな人。かまいたち濱家と、ミキ昂生かな。
病院に行けたことすら褒められたい。
— eripico. (@eripico___) 2020年5月15日
病院に行けて、薬も出してもらえたので、今日からまた少しずつ大丈夫になっていきたい。
5月16日(土)
私はいま歯医者に遅刻していますの札を首からかけようかな……。
— eripico. (@eripico___) 2020年5月16日
歯医者に遅刻してることが申し訳なくて電車に飛び込みそう。
— eripico. (@eripico___) 2020年5月16日
歯医者行けました。https://t.co/eULHAZrSyM
— eripico. (@eripico___) 2020年5月16日
歯医者に行こうとするだけで、投身自殺しかけるくらい落ち込む土曜日。雨だったので服装が決まらず、チグハグな格好で出てきてしまった。靴の中に、雨の水が染みている。
5月17日(日)
宮城に帰りたいけど、いま帰ったらなんかもう東京に戻れない気がする。
— eripico. (@eripico___) 2020年5月15日
ここ数日はずっと、全部辞めて宮城に帰ったほうがいいんじゃないか? という気持ち。本当にそうしたいかは自分でもわからなくて、ただそういう気持ちの波のときなんだと思う。
— eripico. (@eripico___) 2020年5月17日
宮城に帰って、いままでしてきたことともう全然関係ないことをはじめて、向上心とかあれしなきゃこれしなきゃとかなく、ただ日々を過ごしたい。そうする中でやっと浮き上がってくる「書きたい」という気持ちだけで書いたものを、私は書きたいし読みたい。いまはたぶん、やらなければいけないことがキャパシティに対して多すぎる。
どうしたらいいんだろう。何とか働き続けられるようにとか、何とか生き続けられるようにとか、自分でも何とかしようとしてきたつもりだったけど、もうダメかもしれない。騙し騙しができなくなったら終わりだ。
生きることにはしたものの、あれからアボカドの芽がなかなか伸びない。なんだかもう、停滞している自分を見ているようでつらい。
最近、好きだなと思う人がいて、その人も私を好きだと言ってくれるので嬉しい反面、私は本当にこの人を好きなんだろうか? と不安にもなる。この人がつらいことを一時的に忘れさせてくれるから、そういう装置として必要としているだけなのでは……。大好きでたまらないのに、ものすごく慎重になってしまう。
でも、たぶんそれでもこの人は、それでもいいんだよと言ってくれるんだろうな。そう思ったら、こんな自分が申し訳なくて涙が出てきた。自分の腕でも脚でも何でもいいから切り落としてしまいたい気持ち。それがその人にとっても私にとっても何の意味もないとしても、何かを身体に刻まずにはいられない。