粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

エロだの性だの裸だのセックスだのなんだりかんだりを馬鹿にするのダサい

雑誌『Tokyo graffiti 2017年12月号』、特集は「TOKYO SEX」だった。
カップルインタビューのページでは、カップルたちがその2人の生活空間で裸になり、笑顔で写真におさまっている。

 

発売後、わりとすぐに雑誌を購入して、そのページを見た。
全ての裸がセクシーかというと、そうである人もそうでない人もいる。
全員が美しい裸体かというと、一般のカップルなので、特にモデルのような圧倒的肉体美があるわけではない。

ただ、みんな楽しそうに写真に写っているのが良かった。
カップルだから、きっと喧嘩することも別れを想像することもあるだろう。
でも、その写真ではただただ幸福な「今」を切り取っていた。それもまた、良い写真だ。
カメラマンとどんなコミュニケーションがあったのだろうと、想像しながら見ていた。

 

インタビューも含めて読み、私個人として、良いねーと思うカップルとなんかやだなーと思うカップルがいた。

でも、まあそんなものじゃないだろうか。
私の裸だって、綺麗だと言ってくれる人もいるし、言わないけれどもだらしないとか何かネガティブイメージを持つ人もいる。
私のセックスだって、話してみれば憧れてくれる人がいるかもしれないし、「ないわー」と思う人がいるかもしれない。

 

Tokyo graffti(トウキョウグラフィティ) 2017年 12 月号 [雑誌]

Tokyo graffti(トウキョウグラフィティ) 2017年 12 月号 [雑誌]

 

 

そのカップルたちのグラビア写真が、なぜか今になってTwitterでネタにされているのを見た。
2月19日頃に、2ちゃんねるだか5ちゃんねるだかで揶揄するスレッドが立ったのが発端っぽい。
自分の意見を言うのではなく、馬鹿にしたり、他人の裸でコラ画像を作ったりする。
ダサいなーと思った。

 

エロだの性だの裸だのセックスだのなんだりかんだりが好きなくせに(多少なりとも興味があるくせに)、その好きなものたちに敬意を払う行為を馬鹿にしている人たちって、本当にかっこ悪いなあと感じる。
だいぶ前に、「もっと真剣にエロと向き合えよ! おっぱい当たる記事を読んだ感想」というブログエントリを書いたときも思った。

アイドルオタクでも「貶め愛」「おとし愛」とかいって、好きな対象や自分が好きなものを馬鹿にすることが愛情表現だと言い張る人がいる。
そういうもののダサさ、かっこ悪さに少し似ている。

 

もしかしたら、そういう人は幼い頃に、好きな対象物や自分の性的な面を馬鹿にされた経験があるのかもしれない。
だから、自己防衛として好きなものやエロだの性だのを馬鹿にしているのかもしれない。
そうだとしたら、そんなことする必要はもうないのだ、あなたはもう大人なのだと言ってあげたい。

あるいは、好きなものに圧倒されたくないというプライドがそうさせるのだろうか。
圧倒、されてみたらいいのに。
好きなものに頭から飲み込まれて、自分は太刀打ちできないと知ることの快感。
そこからさらにのめり込まざるを得ない引力。
そんな抗えない感覚に身を任せ降伏することも、楽しいものです。