10年前。
私は当時の恋人や親に隠れて、大好きなメトロノームを聴いていた。
眠らないこの星で
終わらないこの二人
出会わない僕達の
起こらない物語プラネット/メトロノーム
高校生の頃の私は、メンバーのシャラクが書く歌詞は嘘のない愛だと思った。
2006年頃は、幸せになるためにいつか巡り合うとか、たった一人の君に永遠の愛を誓うとか、そんな歌詞が好かれていたと思う。『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞を獲った年だ。
だけどシャラクによれば、この星には永遠に自分と出会わない人がいるし、永遠に何も起こらない関係があるという。世界の何も存在しない部分に目を向け、それを慈しみ歌詞にするシャラクの果てしない視野の広さ。広さというか、深さというか、それこそ永遠というか、とにかくこどもの私にとっては壮大だった。
メトロノームの歌詞には「僕」と「君」が登場することが多い。
他者と自分の境界があいまいになりがちな思春期の女子校時代。トイレに一緒に行きたい子や、友達に彼氏ができると「裏切られた!」と怒ってしまう子もいたけれど、私にはあまりない気持ちだった。「僕」と「君」は違う人間で、一緒に死ぬことはできないとメトが叩き込んでくれたからかもしれないと思っている。
僕と君という個別の人間が、この宇宙の中で交わるほんのほんのほんの一瞬の尊さや悲しさが、メトの歌詞なのだ。
メトを聴かなくなってから、他者と自分の境界を感じられないようになった。
一時期は完全に「察してちゃん」になってしまい、イライラすることが増えた。特別な相手でも同じ気持ちにはならないことは当たり前なのに、なぜかそうあってほしいと願うようになってしまっていた。時間をかけて練習して、他者との境界を意識できるようになった(気がする)。メトの曲を聴けば、一発で治っていたかもしれないと思う。
2016年9月19日、第10期メトロノームが起動した。
ZEPP TOKYOでの復活ライブ。4曲目の『世界はみんな僕の敵』で、涙が出てきた。
「僕の」「君の」と何度も繰り返され、ぐじゅぐじゅと情けなく引っ付こうとしていた自分と他者が切り離される。それは決して悲しいことではなく、むしろ心地良さ。この世界にわかりあえない「僕」と「君」が内包されていることは、尊いことなのだ。
『解離性同一人物』 (music video full version) / メトロノーム
2016年9月21日発売の新曲『解離性同一人物』でも、僕と君は切り離され、両者は存在を尊ばれる。
僕と君は別々の人間で、混ざりあわない。だからこそ、この壮大な星で僕たちは1人ぼっちではない。