粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

ハッピーエンドだと感じてしまった。映画「愚行録」感想

先日、映画「愚行録」を見ました。
ミステリーなので、あまり内容を出さない曖昧な感想を書きたいと思います。

 


映画 『愚行録』予告編【HD】2017年2月18日公開

 

「胸糞悪い」「不条理」「嫌な気分になった」「後味悪い」「人はみな愚者」「人間って怖い」。
そんな感想がSNSに流れているのを見て、なるほどーと思っていたのだけど、私は「なんだ、ハッピーエンドだ」と拍子抜けしてしまった。

 

あらすじ

妻夫木聡が演じる週刊誌記者・田中武志。
田中は、1年前に起きた惨殺事件の被害者である田向(たこう)一家について調べていく。
田向浩樹(小出恵介)の同僚、元恋人、浩樹の妻(松本若菜)の同級生とその恋人……彼らのとりとめのない思い出話を聞くうちに、理想的な家族だと思われていた田向夫婦の知られざる人柄が浮かび上がってくる。

一方、田中の妹・光子(満島ひかり)は育児放棄の疑いで逮捕されていた。
父親が誰なのかも明かさない光子が頼れるたった一人の家族、兄・田中。
光子の罪を少しでも軽くするため、早く出所できるようにするため、田中は弁護士に光子の精神鑑定を依頼する。

 

感想

※少しのネタバレも恐ろしい人は、以下読まない方がいいかも。

 

「こえー!」

映画が終わって辺りが明るくなると、若い男性が声をあげた。
一緒に見ていた友人たちに、どんなシーンが、セリフが恐ろしかったのかを興奮気味に説明している。

私が嫌だなあと思ったのは、田向の同僚・渡辺(眞島秀和)が田向と仕組んである女性を貶めた思い出話をした後に「なんであんな“良い奴”が殺されないといけないんでしょうね」というようなことを言って男泣きする場面だった。
自分がしたことを棚に上げるどころか、悪いことをしたとも思っていないからああやって泣けるのだ。
そういう男性は、まあ割といる。狭いながらも周りに聞くと、男性同士では自覚がないことが多いようだ。このシーンを男性の原作者と監督が描いたのはえらいなあと思った。
男性嫌悪が再発するのでは、と少しハラハラした。

しかし、それ以外の部分で嫌だとか怖いとか思う場面はそんなになかった。
むしろ「あるある」「わかる」と共感する話が延々と続くので、笑顔になってしまったほどだ。ニコニコして映画を見ていた。ふふ、と笑ってしまったときも何度かあった。

 

田向を「クズ」と呼ぶ感想をいくつか見た。
そんな田向について、元恋人の稲村(市川由衣)は「彼には一貫性があった」と語る。
私も、そういう男性に惹かれがちだ。一貫性があることの何が魅力なのか自分でもわからないけれど、無秩序なクズや無秩序な優しい男よりだいぶ良い。理由や意思がはっきりと見える分、人間だと認識できるからかもしれない。それが人間らしさなのか、それとも無秩序な方が人間らしいのか。
あるいは、私が自分の払うコミュニケーションコストをケチっているから一貫性のある男と付き合うことで楽をしているからか。

 

最後は、ハッピーエンドだと思った。でも、そういうことを言う人がなかなかいない。
1件だけ「見る人によっては、ハッピーエンドかもしれませんね」というSNSの投稿を見かけて、少しほっとした。

人は、ハッピーを受け入れる器を育てられないまま大人になることがある。
器を持たない人が受容できるハッピーは、あれが限界で最上だ(大人になってから努力や周りの協力で育てない限りは)。あれよりも大きめのハッピーの器を持っている人にとっては、バッドエンドに見えたのではないかと私は考えている。
その登場人物には、たくさんのハッピーを手に入れられそうなチャンスが途中で訪れる。でも、器が小さいから汚くこぼしてしまうし、入れ方がわからなかったり雑に入れられたりして器自体を壊してしまうこともある。「ちょっと、ちょっと待って」と戸惑い焦る気持ちや、何度もこぼして器が壊れることで諦めて笑うしかなくなる気持ちが、わかる、と思った。

あれを「不条理」とか「かわいそう」とか思うのはずるい、という気持ちが少しある。そう思う人たちが、現実でああいう人の器を大きくする作業に付き合ってくれるかというと、ほとんどの場合はそうではないので。
それなのに、もっとハッピーになれるはずだとけしかけるのは酷ではないか。例え濁ったものであってもハッピーが入っていたとしたら、小さい器のままでそれを認めてもらえないのだろうか。

 

宮村(臼田あさ美)が田向の妻について「どこで恨みを買っていてもおかしくない」と評する場面がある。
だけど、その人が田向一家を殺したのは恨みのためだったのか、私はわからないでいる。
もし自分の心を守るためだったとしたら、ちゃんと殺せて良かったねという気持ちだ。たぶん、フィクションだから(自分の身に降りかからないから)そう思うのだろうけど。

 

恥ずかしながら、かなり私怨を重ねてしまう映画だった。

そういえば、映画を見たあと「誰も知らない」(2004年)という育児放棄されたこどもたちの映画を思い出した。
これも、ハッピーエンドに見えた人とそうでない人がいたと思う。今の自分はどっちの人間なのか。改めて見てみる機会を作りたい。