粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

01:生きてて良かったと思ったこと

※noteに書いている「お題箱への回答」の転載です。

 

月に1~2回、お題箱にいただいたメッセージにお答えしていきます。
今日のお題はこちらです。

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 いままでで一番生きてて良かったと思ったことを教えてくださいhttps://odaibako.net/detail/request/2d5209af2f614512a21f3d037054fae4

 

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1ヶ月ほど考えてみたけれど、「生きてて良かった」と思ったこと、ないな、と思いました。
「あのとき死んでいたら、この瞬間に立ち会えなかったんだな」と思うことはあるけれど、それは「生きてて良かった」という気持ちと少し違うような気がします。同じか? どうだろう。

 

幼い頃から、変な人に遭いやすい女でした。
小学校の低学年だったとき、親戚の女の子たちと一緒に行ったショッピングセンターで痴漢に遭いました。保護者を含めると10人ほどの女性がいたにも関わらず、どうして私だけがあんな目に遭わないといけなかったんだろう。いまでも、あのスーツを着た男性を恨んでいます。

中高生になっても、新幹線のデッキで痴漢に遭い、アーケード街ではすれ違い際に身体を触られ、ショッピングセンターでは男性が自慰をするときに使うらしい手袋を履かせられたことなどもありました。宗教の勧誘もよく受けましたが、男性に声をかけられたり加害されたりすることが圧倒的に多かった。
それは、大学生になっても、上京しても変わりませんでした。上京したばかりの頃に、池袋で突然担がれ車に押し込まれたときは「死ぬかも」とすら頭に浮かばないほど混乱しました。それからおよそ2年の間は池袋に近寄ることができませんでした。

つい最近も、通勤ラッシュの地下鉄で痴漢に遭いました。振り返って犯人の姿を見ると、その人は外国人でした。日本が痴漢に甘い国だから、この人もこうして当たり前のように痴漢をするようになったのだろうか。それとも、元々自分の国でも似たようなことをしていたのか。それとも、日本で育った人なのか。あるいは、私が悪いのか。
なぜか犯人の背景を想像し始めてしまい、頭がくらくらとして目の前が真っ暗になりました。インターネットでは「痴漢に遭うわけない」と嘲笑されているような年齢の私でも、まだ加害から逃れられないのかというショックがあります。

 

こうした加害者たちのほかにも、私が引き寄せてしまう人がいます。二村ヒトシさんの言葉を借りると「心の穴」を持つ男性。
パートナーに理解されない性的嗜好を持つ男性。配偶者に胸の内を明かせない既婚者男性。恋愛がしたいのに女性と上手く接することができないと思っている男性。母親など自分を庇護してくれる女性を求めている男性、など。など。

こうした男性たちと接していて、以前は憤りを感じていました。自分で考えろ、なんで私なんだ、と。私に解決させようとしないでくれ。私に期待しないで。私に加害しないで。
それでもLINEやTwitterのDM、メール、電話の通知は鳴り、私はそれらに絡めとられていきます。そうして絡めとられ続け、穴を持つ男性たちとのやり取りを常に2~5件ほど抱えてきて、最近ようやく気づきました。私もまた、彼らがいることで何かを得ていると。

私が彼らと接して満たしているものは、異性への支配欲と、父的なものからの認知に対する飢えです。
男性という存在を守り、慰め、癒すこと、または未知の性的快楽を植えつけてやることなどで、私は私に加害してきた男性を恨む気持ちを癒します。一方で、男性に褒められ、愛され、必要とされ、認知されていることを理解することで、こどもの頃には父的なものから思うように感じ取ることができなかった感情のピースを集めていたのです。

 

変な人に遭わないようにするにはどうしたらいいかと腐心し続けた人生でした。
でも、もうこれからは、私は変な男性や取りこぼされた男性を集めてしまう生き物として生きていかなければいけないと、決心がつきました。
男性たちに対して自分が何をしてあげることができるか。そして、男性たちから何をもらえるか(あるいは、奪えるか)を考え、形にしていくことで、自分が本当に欲しかったものの輪郭が浮かび上がってくるのだろうと思います。
少なくとも私は、自分がなぜ男性と接しているのかわからないで、一方的に加害されたり奪われたりする存在ではなくなることができるでしょう。

 

このことに気づき、幼い頃からなかなか腑に落ちていかなかったつるべの桶が、やっと腑の水面に届いたような気持ちです。腑ってあったんだね、本当にあったんだ、私にもあったんだ。触るまで知らなかったな。あって良かったー。わーいわーい。
自分の身体に腑が本当にあるかどうかも知らずに生きていた数十年。それよりもこの先のほうが、たくさん自分のためにできることがあると思えました。

生きていると、自分の腑に触れることができる場合もある。この発見は、もしかするとこの先の人生で「生きてて良かった」に育つ可能性がある種ではないか。いま、少しだけ期待しているところです。

 

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