粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

ライターが口喧嘩をするのはルール違反である

先日、知人と口喧嘩をした。
何年も同じことを繰り返すその人が、良くない部分を直す努力をしていないとは思っていなかった。けれど、こちらも何年も嫌な思いをしており強く言わないとわかってもらえないと判断し、その人の言われたくないであろうことをたくさん指摘してしまった(大人げない)。
後日、こんなことを言われた。

 

「格闘家が本気で喧嘩をすることはフェアじゃないと禁じられているのに、
 ライターが本気で口喧嘩をするのはずるい。ルール違反だ」

 

いやいやいやいや~……(笑) と思ったけれど、時々その言葉を思い出すと「そうかもな?」と考えさせられもした。
空手や柔道などの格闘技を習っている人や仕事にしている人が「拳を素人に向けるな」と教育されるように、ライターも「言葉を素人に向けるな」と教えられなければいけないのだろうか。

 

 

「ライターが口喧嘩をするのはずるい」
その人は、言葉を扱うのが普通の人よりも上手くそれを仕事にしているのに、素人相手にその研いだ刃を向けてくるのは卑怯だという意味で言っていた。
ライターが言葉を扱うのが上手いという点については、わたしには異議がある。

文章が上手くなくてもライターにはなれる。題材やテーマなどのネタを選び、それを調べて、人に伝えるためのサービス精神を持っている人ならば、文章力はあとからついてくるという。
活躍しているライターさんの記事を読むと、言葉の扱いが巧みどうかよりも「そこに目をつけるのか!」「着眼点がすごい!」「調査力がすごい!」と思わされることが多いのではないだろうか。
そして実際に書いた方にお会いすると、口下手な方も少なくなかった(でも、着眼点が面白いので口数が少なくてもお話は面白い)。ライターだから必ずしも口が上手いかというと、そうではないようだ。

 

しかし、ネタ探しが上手いということは、あら探しや相手の良いところ/悪いところ、言われて嬉しいこと/嫌なことなどを見つけることが上手いという可能性もある。相手の言われたくないことを見つけて的確に突き致命傷を与える力は、ライターの書く力ではなくネタ探しの力に通ずるのかもしれない。
そういう意味では「ライターが口喧嘩するのはずるい」のか。けど、ネタ探しをしなければいけない職業はライターだけじゃないしなあ。ライターだけがそんな風に言われる筋合いはないと思う。

 

 

わたしが「ライターが口喧嘩をするのはずるい」という意見が気になったのは、家族や友人にも「あなたと口で喧嘩したくない」「話し合いたくない」と言われたりそういう雰囲気を出されたりしたことがあったからだ。それは物を書く仕事をする以前からそうだった。
わたしの口喧嘩のやり方が汚いのは、わたしが物を書く仕事をする人だからではなく、わたしの人間性によるものだ。自分を守るため、負けたくないため、人を屈服させるまで打ち負かしてしまうことがしばしばあった。臆病者のすることであり、それはコミュニケーションではない。

わたしにずるいと言った人との喧嘩も「強く言う」からヒートアップして「打ち負かす」になってしまっていた。
内容的に悪いことをしたとは思っていないのだけど、でもあれはコミュニケーションではなかったということは省みるべきだと思ったし、反省している。

 

 

「ライターが本気で口喧嘩するなんてずるい」

わたしは、ライターが本気で口喧嘩をしても良いと思う。
コミュニケーションとしての喧嘩であれば、着眼点が面白いライターの方との喧嘩ほど楽しいものもない気がする。
わたしのように一方的に言い負かすための言葉は、もはや喧嘩ですらないのでだめです。ごめんなさい。