粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

正しい豚汁、誤った豚汁

この秋初の豚汁を作った。豚汁は、一度作ったら数日は食べる心づもりで作るものだ。湯気を浴びながら、鍋のふちに届きそうなほどたっぷりの豚汁をのぞき込む。味噌と野菜と豚肉の脂の香りとともに、達成感と「数日は美味しいものに困らない」という安心感を、胸いっぱいに吸い込む。

私が豚汁に入れるものは、細切りにした豚バラ肉、いちょう切りの大根と人参、里いも、長ネギ、しめじや好きなきのこ、ちぎった平こんにゃく、大きめに切った絹ごし豆腐、仙台味噌、宮城の日本酒。この組み合わせをベースに、そのときそのときで具を抜いたり、ごぼうやさつまいも、かぼちゃなどを加える場合もある。今回は、人参と里いもを抜いて生姜のすりおろしを入れた。邪道だろうか。最近、汁物に生姜を入れるのにハマっている。

 

そういえば昔、交際していた男性と豚汁を作っていたときに「出汁は入れないのか」と聞かれたことがあった。

「鰹だしやほんだしのようなもののことを言っているのであれば、豚汁の場合は入れない。
 たくさん入れた野菜やきのこから出汁がでるから、その出汁だけで十分に美味しいのだそうだ」

そういうことを伝えたけれど、彼はやっぱり鰹だしやほんだしのことが気になるようだった。普段料理をする人ではないし、別に料理にこだわりがある人でもない。きっと、前の恋人かあるいは浮気相手の女の子に豚汁を作ってもらったとき、その子が出汁を入れたのを見たのだろう。「出汁を入れるのよ」と教えてもらったのかもしれない。それは彼の様子からなんとなく読み取った予感だったけど、そういう予感はいつもだいたい当たっていた。その日の豚汁は、出汁を入れなくてもやはり美味しかった。

後日、また豚汁を作ったときに彼が「今日は出汁を入れてみてもらっても良いか」と聞いてきた。彼の家には顆粒のほんだしがあり、スティック状になっている袋を開けて私は豚汁に出汁を入れた。出汁の味を考慮して味噌を控えめにしたつもりだったけど、完成した豚汁はとがったしょっぱさが気になった。それでも、彼はこういうのが飲みたかったのだろうし、まあいいか、と食卓に出す。豚汁に口をつけた彼は、何を言うか少しためらったのちに「なんかしょっぱいね」とだけ言った。

本当だろうか、本当は他の子が作ったもののほうが美味しいと思っているんじゃないだろうか。そんな疑念がずっと拭えなかった。いつも誰かと比べられている感覚。数年後に、料理教室の先生に「豚汁を作るときには、野菜から出汁が出るのでだし汁は入れない」と習った。ああ、やっぱり私の言ったことが正しかったんだ。彼に間違いを教えたわけじゃなくて良かった。しかも、彼の好きな「合理的な理由」だ。
ほっとして、帰って彼に先生の話を伝えると、彼は豚汁に出汁を入れるかどうかなんていう話は覚えていなかった。正しいか正しくないかなんて、美味しいか美味しくないかには関係ない。たとえ私が正しくても、彼が他の女の子とセックスしたいと思ったら関係ない。でも、だからこそ私を守って慰めてくれるものは正しさしかなかった。

 

生姜の香りがする豚汁を味見すると、それは十分に美味しかった。私が正しくても間違っていても私のことを好きだと言ってくれる人に食べてもらいたいな、と思った。