粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

1年前の日記

1年前の日記を見てみた。その頃の私はまだ、人を信じようとし、どうにかして前に進もうとしていた。

こどもの頃から筆圧が強いほうだった。なのに、「今週は、もうこれ以上つらいことが起きませんように」と、弱々しい筆跡で記された祈りの言葉。かなしい。結末を知っているいまの私が「かわいそうに、もう大丈夫だよ」とその文字列を撫でる。自分が撫でられたような感覚が、不思議と頬や腕に残る。

 

モラルハラスメントと不貞、SNSなどでの誹謗中傷の証拠を集めていたため、昨年の日記にはそうしたものの記録が可能な限り詳細に残っている。それらを見ると、箇条書きであっても当時の空気感や呼吸の苦しさが思い出される。そして記録された事実の羅列を前に、ああ、私は彼らを許さなくても良いんだと、自分を責めることをやめられる。

 

いま、私のことを助けてくれようとする人がたくさんいる。なのに飛び込めず、どんどん一人になっていこうとしてしまう。自分ではずいぶん回復したつもりだったけど、「つらそうだ」と心配して声をかけてくれる人がいる。まだ何も報いることができないし、どうやったら完璧に回復してみせることができるのかわからないけど、本当はとってもとっても感謝している。