粥日記

A fehér liliomnak is lehet fekete az árnyéka.

ワシはこんなことを考えている

フェミニストは男性に何かを求めるのをやめるべきでは?」
「日本のフェミニストは男性を含めた多くの人に理解を求めなければいけない」

1日のうちに、別々の男性から発せられた相反する意見を見た。どっと疲れる。フェミニストを名乗る人たちは、こうしたどうしようもない柱がいくつも突き刺さった道を、上手にすり抜けて物事を進めていかなければいけない。大変なことです。

 

私はフェミニストを名乗っていない。以下は、私という一人の暫定的女がいまなんとなく思っていることだ。

 

おそらく、日本においてフェミニストはもう「平身低頭、すべての男性の理解を得なければいけない」というフェーズはほぼ終えているのではないかと思う。

インターネットフェミニストとアンチフェミニストは日々不毛な言い争いをSNSでおこなっているけれど、一方で粛々と性犯罪に関する法改正の準備を進めたり、貧困女性や若年女性のセーフティネットとなるべく活動していたりする人もいる。韓国発の小説『82年生まれ、キム・ジヨン』は日本でも2018年に筑摩書房から刊行されヒットした。2019年12月、元TBS記者の山口敬之氏には性行為の強要が認められ慰謝料など330万円の支払いが求められた。インターネットでワーワー言っている人だけがフェミニストだとアンチが思っているうちに、現実世界で着実に成果をあげつつある人たちが、本当に、リアルに、存在している。

 

主にインターネットで活動するアンチフェミニストに関しては、もう見放してもいいのかもしれない。デマと誹謗中傷だけは淡々と訂正、拡散、通報していけば。女性専用車両に乗り込み乗客を怖がらせる活動をしている人たちなどに関しても、わざわざフェミニストが働きかけるのではなく、警察や鉄道会社で働く人たちに報告をし、実態を知ってもらえばいい。

わかる気のない人たちと議論しようとすると、振り回されて混乱し、その抗いようのない混乱を「論理の破綻w」「同じことを何回も言うw」と笑われ「見てください、フェミニストは馬鹿なんです!」と良いようにまとめられるだけだ。見ていて、余計な疲弊をしているようでつらくなってしまう。疲弊して離脱すれば「逃げたwフェミ敗北涙目www」って言われるしね。

SNSというツールをどう使うか? もう少し戦略的になってもいいかもねと思う。

 

インターネットで騒げばテレビで取り上げられることもあるが、だいたいの場合は理解のないコメンテーターに落胆する。「男性は、優しく教えてもらわないとわからないんですよ~」などと言うときの男性の顔のゆるみのなんと間抜けで頼りないことか。

数年前はテレビでも週刊誌でも「性暴力・性教育なんか視聴率取れない」と企画が一蹴されていたそうだが、ここ最近は、性教育や女性の性の話などは「視聴率、反響のあるコンテンツ」として徐々に認められつつあると聞いた。これからは、ジェンダー女性差別、性暴力、性教育などの話題がテレビ番組で扱われたときに、それが良質であれば大いに盛り立てて「また見たい!」「今度はこんな話が聞きたい!」と好意的な意見をたくさん送ってみたい。何でもいいからジェンダーについて取り上げてもらうというフェーズを抜けて、次は「良質なコンテンツを増やす」方法を考えてみたいところだ。

 

私は、一部を除いて男性のことは諦めた。瞬間的に怒りを感じることはあるけれど、変えようとか何かしてもらおうとか理解を求めようとかはあまり思わなくなった。どうせ理解しないし変わらないから。

変わるとしたら、徐々に、いつの間にかだ。法律やタレントの発言や会社の上司など「上」が変わったら、なんとなく「僕も最初からそうでしたけど?」みたいなムカつくキョトン顔して変わっていく。オフィスから女性が肌を露出したカレンダーやポスターやデスクトップの背景画像が消えていったように。気づいたら、男の子が飲み会で1杯目にカシオレを頼んでも「いや、ビール飲めよ」という言葉を控える人が増えていたように。

 

これは私の考えなので、もしインターネットバトルをやりたいフェミニストの人がいたらしたらいいと思う。リアルで活動している人たちの脚を引っ張らないように気をつけつつ。最近、フェミニストじゃないのにbioに「フェミニスト」と書いてわけのわからないことを言う人が増えてめんどくさいしね。そういうのを指摘して周知してくれるのはありがたいことです。

あと、フェミニストの間でも、「いまの差別発言になっちゃわない? 大丈夫?」みたいなのももっと気負いせず指摘しあえるといいよね、たぶん。SNSでやると混ぜっ返されてめんどくさいから、どこか落ち着いてそういう話ができる避難所があるといいなあと、いまふと思った。ジャストアイデアというやつ。

 

もしいま火急の状況というわけでないなら、あんまりインターネットで疲れないでほしいなとも思う。“優しい女”は「意見の違う人(男性)にも話を聞こう」とかやってしまうけど(私もやってました以前は)、腹割って話すつもりのないくせにみんなの前では「もちろん議論しますよ歓迎ですニコニコ」と言う、外面は良いモラハラ男みたいな人もいる。

その人がちゃんと話してくれる人っぽいかどうか、周りに相談して見極めることも大事だと思う。自分を信じすぎず、抱え込みすぎず。私も危なっかしい人間なので、最近は「信頼できる意見の違う人」に相談してます。だいたいやんわりと止められております。

 

我々の目の黒いうちに女性差別がなくなるかというと、それはまあまあ厳しい気がする。なので、まだまだ先は長い。

職場の面談で「3年後、5年後、10年後、20年後、どうなっていたいか」と先のことを聞かれると「知らねえ~~~」とか思ってしまう私だけど、でも差別のことについては、いま目の前の人の意見を変えることよりも、自分たちのこどもの世代がどんな世界に生まれたら生きやすいかを考えたいと思う、できるだけ(私は自分のキャリアや将来のこともちゃんと考えた方がいい……)。

インターネットフェミニズムに足した方がいいのは、目の前のもぐら叩きの時間を、少しだけ「自分が死んだ後の女が生きる世界はどうなっていたらいいか」を考える時間にあてることなのかもしれないなあ。わからんけど。

 

ワシはこんなことを考えております。間違っているかもしれない、でもいまのところは。みんなたちはどうかな。